AppleがBitchatを中国で削除、ネット不要が脅威に
インターネットを使わないメッセージアプリが、インターネットを支配する国に排除された。ジャック・ドーシーのBitchatが中国App Storeから消えた背景には、検閲の構造的な限界がある。
インターネットを使わないメッセージアプリが、インターネットを支配する国に排除された。ジャック・ドーシーのBitchatが中国App Storeから消えた背景には、検閲の構造的な限界がある。
「社会動員能力」を持つアプリの排除
Block CEO兼Twitter共同創業者のジャック・ドーシーが開発した分散型メッセージアプリBitchatが、中国のApp Storeから削除されている。ドーシーが4月5日にXで公開したAppleのアプリ審査チームからの通知によれば、削除は2月28日付で、中国国家インターネット情報弁公室(CAC)の要求に基づくものだ。
CACが根拠として挙げたのは、2018年施行の規定第3条だ。「社会動員能力」を持つオンラインサービスに対して、運用開始前のセキュリティ審査を義務づける条項である。要するに、政府の審査なしに人を集められるサービスは許さない、という規定だ。
https://x.com/jack/status/2040924565111537983
ドーシーの投稿は「Bitchat pulled from the China App Store」の一言だけ。だが添付されたAppleからの通知には、App Store版に加えてTestFlightベータ版も中国では利用不可になると記されていた。
CACの規定では、「世論に影響を与えるか、社会動員を可能にするオンラインサービス」は、運用開始前にセキュリティ審査を受け、その結果に責任を負う義務がある。
ファイアウォールが効かない設計
Bitchatが中国当局の目に留まった理由は明確だ。このアプリはBluetoothメッシュネットワークで動作し、インターネット接続を一切必要としない。Wi-Fiもセルラー回線も不要で、アカウント登録すら求めない。
仕組みはこうだ。ユーザーのスマートフォンがBluetooth Low Energy(BLE)で近くのデバイスを自動検出し、メッセージを端末から端末へと中継する。最大7ホップでリレーされ、直接のBluetooth接続範囲(約30〜100メートル)を超えた通信が可能になる。暗号化にはX25519鍵交換とAES-256-GCMを採用し、エンドツーエンド暗号化を実現している。
つまり、インターネットを遮断するという従来の検閲手法が、Bitchatには通用しない。グレートファイアウォールがどれだけ強固でも、そもそもインターネットを経由しない通信は遮断しようがないのだ。
ドーシーは2025年7月にBitchatを「週末プロジェクト」として発表し、GitHubにホワイトペーパーを公開した。
当初はIRCを彷彿とさせるシンプルなチャットアプリだったが、バージョン1.3.0ではNostrプロトコルを利用した位置情報チャンネル機能が追加され、ジオハッシュで世界をチャットルームに分割する仕組みも実装された。
Bitchatは完全にオフラインで動作する設計だ。Bluetooth接続範囲内のデバイスが自動的にメッシュネットワークを形成し、メッセージはホップを重ねて目的地に到達する。パニックモードではロゴを3回タップするだけで全データを即座に消去できる。
抗議活動の「命綱」になったアプリ
Bitchatが単なる技術的好奇心の産物でないことは、ダウンロード数が証明している。Chrome統計によれば累計300万回以上のダウンロードを記録し、直近1週間だけで9万2,000件以上。Google Play Storeでも100万件以上が登録されている。
この数字が跳ね上がったのは、いずれも政治的な緊張が高まった瞬間だ。2025年9月にマダガスカルで大規模な抗議活動が発生した際、わずか1週間で同国から7万件のダウンロードが集中した。ネパールでも同月の抗議活動中に1日で約5万件がダウンロードされている。
2026年1月にはウガンダの大統領選挙を前に、野党指導者ボビ・ワインがXで「Bitchatをダウンロードしたか?」と呼びかけ、ダウンロード数が急増。同国でApp StoreとGoogle Playの両方で1位に立った。イランでも反政府デモに伴うインターネット遮断の中で利用が3倍以上に膨らんだという。
政府がネットを止めれば止めるほど、ネット不要のアプリが広がる。皮肉な循環だが、中国当局にとっては笑えない話だったのだろう。
Appleの「従順さ」は今に始まったことではない
Appleが中国政府の要求でアプリを削除するのは、Bitchatが初めてではない。2017年にはVPNアプリが一斉に排除され、ExpressVPNは「VPN利用を阻止するために取った最も過激な措置」と批判した。2024年にはWhatsAppやInstagramも中国App Storeから姿を消している。
Appleの2024年透明性レポートによれば、同年だけで中国政府からのアプリ削除要請は1,307件に達した。大半はゲームライセンス未取得だが、VPN、ニュース、プライバシーツールなど政治的にセンシティブなカテゴリのアプリも含まれる。Bitchatの削除は、そのリストに新たな1行を加えたにすぎない。
Appleは通知の中で「すべてのアプリは利用可能な国の現地法に準拠する必要がある」と述べている。企業としてはそれ以外の選択肢が見えにくいのかもしれない。だが、その「法令遵守」が結果的に検閲体制の一部として機能している事実は、繰り返し指摘されてきた。
2024年の1年間で、中国政府からAppleへのアプリ削除要請は1,307件。Apple自身の透明性レポートが、同社が検閲インフラの一部として機能している現実を数字で裏づけている。
削除されても止まらない
Bitchatは中国以外のすべての国で引き続き利用可能だ。既にインストール済みの中国ユーザーからアプリが消えるわけでもない。新規ダウンロードが制限されるだけで、Bluetoothメッシュという技術の性質上、一度端末に入ってしまえば国家のインフラに依存せず機能し続ける。
ドーシーはBitchat以前にも、Twitter在籍中に分散型SNSプロジェクトBlueskyを発案し(後に取締役を辞任)、自身の企業Blockを通じてBitcoinの普及を推進してきた。中央集権への不信は彼のキャリアを貫くテーマであり、Bitchatはその延長線上にある。
ただし、セキュリティ面での課題も残っている。Block社のエンジニアが「現状のBitchatは掲げているセキュリティ目標を満たしていない可能性がある」と注意喚起しており、ドーシー自身も外部セキュリティレビュー未実施であることを認めている。
抗議活動の現場で頼るには、まだ早い段階かもしれない。だが、ネットを切れば声を消せるという常識の有効期限が、確実に短くなり始めている。
参照元
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