H.264ライセンス料が45倍に急騰、公式発表なしの静かな改定

インターネット動画の基盤を支えてきたコーデックの料金体系が、公式発表もなく書き換えられていた。影響の全容はまだ見えていない。

H.264ライセンス料が45倍に急騰、公式発表なしの静かな改定

インターネット動画の基盤を支えてきたコーデックの料金体系が、公式発表もなく書き換えられていた。影響の全容はまだ見えていない。


年間10万ドルが450万ドルへ

H.264(AVC)のストリーミングライセンス料が、静かに、しかし劇的に変わっている。

パテントプール管理者のVia Licensing Alliance(Via LA)は、2026年からの新規ライセンス取得者に対し、従来の年間上限10万ドル(約1,600万円)を廃止した。代わりに導入されたのは、プラットフォームの規模に応じた段階制だ。

最上位のTier 1には、大手OTTサービス(加入者1億人以上)、FASTサービス(デイリーユーザー1億人以上)、ソーシャルメディア(月間アクティブユーザー10億人以上)、クラウドゲーミング(同1,500万人以上)が該当する。年間ライセンス料は450万ドル(約7億2,000万円)だ。

旧料金から実に45倍。Tier 2は337万5,000ドル、Tier 3でも225万ドル。10万ドルのまま据え置かれるのは、Via LAが「小規模または初期段階」と認定するプラットフォームだけだ。

ティアOTT規模目安年間ライセンス料旧上限比
Tier 1加入者1億人以上450万ドル
(約7億2,000万円)
45倍
Tier 22,000万〜1億人337万5,000ドル
(約5億4,000万円)
33.75倍
Tier 3500万〜2,000万人225万ドル
(約3億6,000万円)
22.5倍
小規模500万人未満10万ドル
(約1,600万円)
据え置き

※OTTストリーミング基準。FAST(デイリーユーザー)、ソーシャルメディア(MAU)、クラウドゲーミング(MAU)は別基準で同額。2026年以降の新規契約者に適用。既存ライセンス保持者は旧条件を維持。出典:Via LA公式ライセンス料ページ

ただし、この値上げには重要な但し書きがある。2025年末時点でライセンス契約を結んでいた企業は、旧条件がそのまま維持される。つまり影響を受けるのは、これまでライセンスを取得していなかった事業者が2026年以降に契約を求めた場合に限られる。

Via LAは2025年中に未ライセンスの企業に直接連絡し、旧条件での契約機会を提供したと説明している。しかしプレスリリースや公式発表は一切行われなかった。

連絡が届かなかった企業、あるいは応答しなかった企業は、今や新料金が交渉のスタートラインになる。10万ドルの「丸め誤差」が、数億円規模の固定費へと変貌した形だ。


なぜ今、値上げなのか

Via LAの説明はシンプルだ。旧料金体系は10年以上前、AVCストリーミングがまだ本格的なビジネスカテゴリーとして確立する前に設計されたもので、今回の改定は「現在の市場環境を反映した」に過ぎないという。

だが、この説明には違和感が残る。H.264は2003年に策定された規格であり、多くの特許がすでに満了している。LinkedInではこの改定に関する投稿に大きな反響があり、「H.264の特許は2024年1月に失効したはずでは」という声が相次いだ。

特許ライセンス弁護士のジム・ハーランは、Streaming Mediaの取材でこの誤解を明確に否定している。特許の大半が期限切れでも、残存する特許がコア実装に関わる限り、ライセンス義務は消えない。裁判所がFRAND(公正・合理的・非差別的)レートを算定する際に見るのは、残存特許の強度と寿命であって、単純な数の多寡ではないという。

「成熟は経済的な文脈を変えるが、法的枠組みを変えるわけではない」。ハーランの指摘は、H.264を「もう古いから無料」と考えていた事業者に冷水を浴びせるものだ。

とはいえ、ハーラン自身も「ポートフォリオが縮小する中での急激な値上げは、FRAND分析の下で精査を受ける可能性が高い」と認めている。今回の料金改定が法的に持続可能かどうかは、残存特許リストの技術的分析なしには判断できない。


H.265の悪夢が再び

この話は、H.264だけの問題ではない。

動画コーデックのライセンス料は、ここ数年で業界全体を揺るがす構造的問題に発展している。H.265(HEVC)の特許プール乱立は、AcerとASUSノートPCがドイツで販売禁止になるという事態を招いた。

Nokiaが特許訴訟で勝訴した結果、両社はドイツのウェブサイトを閉鎖し、ドライバーやアップデートすら提供できない状態に追い込まれた。DellとHPも一部PCでH.265デコードを無効化する措置をとった。

そしていま、ライセンス料の波は「ロイヤリティフリー」を謳っていたAV1にまで及んでいる。2026年3月24日、DolbyがSnap(Snapchat)をAV1およびHEVCの特許侵害で米国とブラジルで提訴した。DolbyはAV1の策定に参加しておらず、FRAND義務を一切負っていない。つまり、裁判所が認める限り、Dolbyは「公正で合理的」な料金の上限なしにロイヤリティを請求できる。

Access AdvanceとAvanci Videoの2つのパテントプールは、HEVC、VVC、VP9、AV1を横断してストリーミングサービスからコンテンツロイヤリティを徴収しようとしている。Access Advanceの上限は年間約6,300万ドル(約100億円超)、Avanci Videoは売上の1.6〜2.0%、またはユーザーあたり月額0.12〜0.15ドルという料率を公表済みだ。

これらのプールが全面的に機能すれば、大手ストリーミングプラットフォームのコーデックライセンス費用は年間で9桁ドル、つまり数百億円規模に達しうる。H.264の450万ドルは、その全体像のほんの一角にすぎない。

「ロイヤリティフリー」という幻想の崩壊

AV1を推進するAlliance for Open Media(AOMedia)には、GoogleAppleAmazonMicrosoftNetflixMozillaといった巨大企業が名を連ねる。「ロイヤリティフリー」を掲げて開発されたこのコーデックが、特許権者の訴訟によって包囲されつつある。

DolbyのSnap訴訟は、この問題のテストケースとなる。Dolbyが勝訴すれば、AV1を採用するすべてのプラットフォーム――YouTubeNetflix、Twitch、Disney+を含む――が同様のリスクに晒される。知的財産の専門家フロリアン・ミュラーは「ビッグテックがロイヤリティフリーだと宣言しても、それが事実になるわけではない」と指摘している。

かつてH.264が成功した理由は明快だった。単一のパテントプール、シンプルなライセンス体系、そして妥当な上限価格。その3つの条件が、FlashやiOSAndroidへの統合を後押しし、「1回エンコードすればどこでも再生できる」時代を作った。

いま起きているのは、その成功モデルの崩壊だ。H.264は値上げされ、H.265はプール乱立で混乱し、「無料の代替」であるはずのAV1は特許訴訟の標的になっている。どのコーデックを選んでも、ライセンス料の地雷原を歩くことになる。


消費者に降りかかるコスト

コーデックの特許紛争は、企業間の法廷闘争にとどまらない。

ドイツでのHEVC訴訟は、すでに消費者のPC購入やサポート体制に影響を及ぼした。H.264はH.265よりもはるかに広いフットプリントを持つ。あらゆるブラウザ、あらゆるデバイス、あらゆるストリーミングサービスが依存するベースラインコーデックだ。Via LAが今回の料金改定を未ライセンス事業者に限定しているとはいえ、その範囲が将来拡大する可能性を否定する材料はない。

ストリーミングサービスが年間数百億円のコーデック費用を負担することになれば、そのコストは最終的にサブスクリプション料金の値上げとして消費者に転嫁される。あるいは、特定のコーデックのサポートが打ち切られ、再生互換性が失われるかもしれない。

正直なところ、コーデック特許を巡るこの混沌に「正解」は見当たらない。特許権者の権利は法的に保護されるべきだが、インターネット動画のインフラを支える基盤技術のライセンス料が青天井に跳ね上がる状況は、業界全体の健全性を損なう。

H.264は20年以上にわたって、インターネット動画の「共通言語」であり続けてきた。その共通言語に値札が付け直されるとき、コストを払うのは誰なのか。


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