ケンブリッジ発「脳型メムリスタ」がAIの電力問題を変えるか
AIが電力を食い尽くす時代に、脳の省エネ設計をチップに刻み込もうとする研究者がいる。従来の100万分の1という驚異の低電流で動作する新型デバイスの可能性と、その前に立ちはだかる壁。
AIが電力を食い尽くす時代に、脳の省エネ設計をチップに刻み込もうとする研究者がいる。従来の100万分の1という驚異の低電流で動作する新型デバイスの可能性と、その前に立ちはだかる壁。
AIの電力危機に「脳」で挑む
世界のデータセンターが消費する電力は、2024年時点で約415TWh。IEA(国際エネルギー機関)の推計では、2030年までにこれが945TWhへと倍増する見通しだ。AIこそがその最大の駆動力であり、電力の枯渇はもはや技術的な課題ではなく、社会インフラの問題になりつつある。

この電力危機に対して、まったく異なる角度から解を提示する研究がある。ケンブリッジ大学の材料科学者ババク・バキット博士が率いるチームが、人間の脳の神経結合を模倣した新型メムリスタを開発した。学術誌『Science Advances』に2026年3月20日付で掲載されたこの論文は、従来のデバイスと比べてスイッチング電流を約100万分の1にまで低減したことを報告している。
メムリスタとは、記憶と演算を同じ場所で行える二端子素子のことだ。従来のコンピュータがメモリとプロセッサの間でデータを往復させるのに対し、メムリスタはその「往復」自体を不要にする。
この構造がもたらす省エネ効果は大きい。論文によれば、メムリスタベースのニューロモーフィック(脳型)システムは、消費電力を70%以上削減できる可能性がある。ただし、ここで問われるのは「本当に実現できるのか」という、いつもの問いだ。
「フィラメント」を捨てた設計思想
従来の酸化ハフニウム(HfO₂)ベースのメムリスタは、酸化膜の中に導電性の「フィラメント」と呼ばれる細い経路を形成・破壊することで抵抗値を切り替えていた。しかしこの方式には根本的な問題がある。フィラメントの生成と消滅は確率的で制御が難しく、デバイスごと・サイクルごとに性能がばらつく。大規模な計算システムに組み込むには、この「ランダム性」が致命的だった。
バキット博士のチームは、酸化ハフニウムにストロンチウムとチタンを添加し、二段階の成膜プロセスで薄膜を作成するという手法をとった。これにより、p型のHf(Sr,Ti)O₂層とn型の酸化窒化チタン層の界面に自己組織化したp-n接合が形成される。抵抗値の変化は、フィラメントの生成ではなく、この界面のエネルギー障壁の高さを変えることで起こる。
「フィラメント型のデバイスはランダムな挙動に悩まされる」とバキット博士は述べている。「だが我々のデバイスは界面でスイッチングするため、サイクル間でもデバイス間でも卓越した均一性を示す」
p-n接合とは、正の電荷を持つ領域(p型)と負の電荷を持つ領域(n型)が接する構造で、半導体の基本素子。ダイオードやトランジスタの根幹をなす仕組みだ。
発想の転換は明快だ。壊れやすい「橋」を何度も架け直すのではなく、安定した「門」の高さを調節する。この設計思想の違いが、性能の飛躍につながった。
数字が語る性能と限界
実験結果は印象的だ。スイッチング電流は10ナノアンペア以下、データ保持時間は10万秒以上、耐久性は5万回以上のパルススイッチングサイクルに耐える。
1.0Vのスパイク — 生物の神経信号に匹敵する電圧 — で、飽和なしに50倍を超える伝導度変調範囲にわたって数百の異なる状態を実現した。従来のメムリスタが「ON/OFF」の二択に近かったのに対し、このデバイスは無数の中間状態を安定して保持できる。アナログ的な「濃淡」を持つ計算素子だ。
生物学的な学習規則の再現
とりわけ注目すべきは、スパイクタイミング依存可塑性(STDP)と呼ばれる生物学的な学習規則を再現できた点だ。これは「ニューロンが信号を受け取るタイミングに応じて結合の強さを変える」という脳の基本原理で、適応的な学習の基盤になる。シナプスの更新エネルギーは約2.5ピコジュールから45フェムトジュールまで低減された。
「ビットを保存するだけでなく、学習し、適応できるハードウェアが必要なら、これがまさに求められる特性だ」とバキット博士は語る。
実用化への最大の壁
だが、研究室の数字がそのまま実用になるわけではない。現在の成膜プロセスには約700℃の高温が必要だ。
これは標準的なCMOS製造プロセスの許容範囲を大きく超えている。半導体工場の既存ラインにそのまま載せることはできない。
バキット博士自身もこれを最大の課題と認めている。「温度を下げて標準的な業界プロセスと互換性を持たせる方法を、現在模索している」
使用されている材料自体はすべてCMOS互換であり、ケンブリッジ・エンタープライズを通じて特許出願も行われている。材料はある。仕組みも証明された。あとは「作り方」の問題だ。
3年の失敗と、11月の転機
研究の裏側にある物語も印象的だ。バキット博士は材料物理学者として、この研究に長い時間を費やしてきた。
無数の失敗を重ねた約3年の末、転機が訪れたのは2025年11月下旬。二段階成膜法に「ひねり」を加え、最初の層を成長させた後にのみ酸素を導入するという手法を試みたときだった。
「膨大な数の失敗があった」と博士は振り返る。「だが11月末に、初めて本当に良い結果が出た。もちろんまだ初期段階だが、温度の問題を解決できれば、この技術はゲームチェンジャーになりうる」
要するに、3年かけて証明されたのは「フィラメントに頼らないメムリスタは可能だ」という一点だ。だがその一点が、ニューロモーフィックコンピューティングの実用化に向けた最大の障壁の一つを取り除いた。
3年間の暗中模索から一夜にしてブレークスルーが生まれる — 基礎研究の残酷さと美しさが凝縮されたエピソードだ。
ニューロモーフィックの「今度こそ」
正直に言えば、メムリスタという言葉は研究コミュニティでは何十年も聞かれてきた。ニューロモーフィックコンピューティングもまた、常に「あと少し」の位置にいるように見える。今回の研究も、すぐにデータセンターのラックに並ぶわけではない。
しかし、今回のケンブリッジの成果にはいくつかの点で従来と異なる重みがある。フィラメントという根本的な限界を回避したこと、CMOS互換材料で構成されていること、そして学習規則の再現まで到達していること。「概念の証明」から「工学的課題の解決」へと、フェーズが一段進んだ印象がある。
AIの電力消費は加速する一方だ。IEAの推計では、データセンターの電力は年15%のペースで成長し、その最大の要因はAIだ。ソフトウェアの効率化やハードウェアの改善だけでは追いつかないとき、そもそも計算の仕組み自体を変える必要がある。
人間の脳は約20ワットで稼働している。AIが数百メガワットを必要とする同じタスクを、脳はLED電球の消費電力で処理する。その設計原理を半導体に翻訳する試みは、遠回りに見えて、実は最短距離なのかもしれない。
700℃の壁が崩れる日が来るかどうか。それは誰にもわからない。だが、問いかけること自体に意味がある — 3年間の失敗がそう教えている。
参照元
- Science Advances - HfO₂-based memristive synapses with asymmetrically extended p-n heterointerfaces (DOI: 10.1126/sciadv.aec2324)
- ケンブリッジ大学公式プレスリリース
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