LinkedInの「いいね」で判事が退く──マスク訴訟の異常事態

たったひとつの絵文字が、アメリカ企業法の中枢を揺るがしている。デラウェア州衡平法裁判所の首席判事が、数十億ドル規模の訴訟から身を引く事態に発展した。

LinkedInの「いいね」で判事が退く──マスク訴訟の異常事態

たったひとつの絵文字が、アメリカ企業法の中枢を揺るがしている。デラウェア州衡平法裁判所の首席判事が、数十億ドル規模の訴訟から身を引く事態に発展した。


LinkedInの「ハート」が引き金になった

デラウェア州衡平法裁判所のキャサリーン・マコーミック首席判事が、イーロン・マスクに関連する3件の訴訟を他の判事に再割り当てすると発表した。2026年3月30日付の命令で、マコーミックは忌避申し立てそのものは却下しつつも、「メディアの過度な注目が司法運営に有害だ」として、自ら担当を外れる判断を下している。

きっかけは、LinkedInの「サポート」リアクションだった。マスク側の弁護団が問題にしたのは、カリフォルニア州の連邦裁判で陪審がマスクによるTwitter投資家への詐欺を認定した判決を祝う投稿に、マコーミックのアカウントがハート型の「サポート」絵文字を押していたという事実だ。通常の「いいね」ではなく、手のひらにハートを載せた意図的な選択を要するアイコンだったと、マスクの弁護団は強調する。

マコーミック判事は書簡でこう述べた。「サポートのアイコンをクリックしていないか、あるいは誤ってクリックしたかのどちらかだ。誤ってクリックしたとは思わない」

この発言は、不思議な論理構造を持っている。「押していない。でも押したとしても故意ではない。でも故意でないとも思わない」。判事の言葉としては、異例の曖昧さだ。

偶然か、意図か──消されたアカウントの謎

マコーミックは問題の投稿を読んでいないと主張し、LinkedInに「不審なアクティビティ」を報告したと説明した。だが再ログインしようとしたところ、アカウントはロックされていたという。最終的に、3月23日にアカウントは削除された。

マスクの顧問弁護士であるクイン・エマニュエル法律事務所のアレックス・スパイロは、この「技術的な不具合」説に懐疑的だ。CNBCの取材に対し、「グリッチだったという主張に根拠はないと考える」と述べている。

LinkedIn(Microsoft傘下)は、マコーミックのアカウントへの第三者による干渉の可能性について、コメント要請に応じていない。

さらにマスク側は、マコーミックのスタッフの一人もマスクに批判的な別の投稿に「いいね」を押していたと指摘した。判事本人だけでなく、その周囲にまで「偏見の汚染」が及んでいると主張しているのだ。

問題の投稿を書いたのは、カリフォルニア州の陪審コンサルタント、ハリー・プロトキンだ。マスクを相手に勝訴した原告側の弁護団を称え、「世界一の富豪に立ち向かった小さな人々」を祝福する内容だった。この裁判でマスクは、2022年のTwitter買収に際して株価を操作し投資家を欺いたとされ、最大26億ドル(約4,160億円)の賠償責任を負う可能性がある。

再割り当てされた3件の訴訟の重み

マコーミックが手放す3件の訴訟は、いずれもTesla株主がマスクの受託者義務違反を問うものだ。

ひとつは、マスクがTeslaのリソースを自身のAI企業xAIのために流用したとする訴訟。もうひとつは、同様にX(旧Twitter)のために流用したとする訴訟。そして3件目は、マスクがインサイダー情報に基づいてTesla株を取引したとする訴訟だ。いずれも数十億ドル規模の潜在的な損害賠償が見込まれている。

注目すべきは、マコーミックがこの命令を出した直後に、Tesla株主のデイヴィッド・ワグナーが自身の訴訟を取り下げたことだ。ワグナーは2022年、マスクのSNS投稿についてSECとの合意をTesla取締役会が履行しなかったとして提訴していた。担当判事の交代が、訴訟の行方そのものに影響を及ぼし始めている。

マコーミックは再割り当ての日時を別途決定するとし、申し立てた弁護団に対して「自分たちが求めたものを見届けるよう」出席を命じた。静かな、しかし鋭い一言だ。


マスクとマコーミック──2年越しの対立構造

この衝突は突然始まったわけではない。マコーミックは2024年1月、マスクの2018年CEO報酬パッケージ(当時約560億ドル、約9兆円相当)を無効とする判決を下した。取締役会の独立性が欠如し、マスクが実質的に報酬を自分で決めていたと認定したのだ。

マスクの反応は激烈だった。TeslaとSpaceXをデラウェア州から登記移転し、他の企業にも同様の行動を促した。Xでは繰り返しマコーミックを攻撃している。

「デラウェア州裁判所の活動家首席判事」「株主の権利を尊重しない」──マスクの言葉は辛辣だ。だが2025年12月、デラウェア州最高裁はマコーミックの判決を覆し、報酬パッケージを復活させた。

マスクはカリフォルニア州での裁判で「デラウェアでは勝てなかった。あの判事は私に極めて偏見を持っていた」と証言している。

最高裁が覆したとはいえ、マコーミックの事実認定の大部分は維持された。そして復活した報酬パッケージの現在価値は1,000億ドル超(約16兆円超)。偏見があるなら、なぜマコーミックは昨年マスクに対する別の訴訟をひとつ棄却したのか。マスク側の「偏見」主張は、都合のいい一面だけを切り取っている可能性がある。

絵文字ひとつで司法が動く時代の危うさ

この一件が突きつけるのは、「偏見の外観」という概念の危うさだ。デラウェア州法は、中立性に「合理的な疑い」がある場合、判事に退くことを求めている。マコーミックは偏見を否定した。忌避申し立ても却下した。それでも担当を降りた。

Forbesによれば、マスクの現在の資産は8,080億ドル(約129兆円)。SpaceXの年内IPOが実現すれば、人類史上初のトリリオネアになると予測されている。これだけの経済的・政治的影響力を持つ人物が「この判事は偏っている」と主張したとき、司法はどこまで独立を保てるのか。

マコーミックは命令の中で、「幸いにも、衡平法裁判所はいかなる個人よりも大きな存在だ」と書いた。制度への信頼を示す言葉だが、裏を返せば、個人の影響力が制度を揺るがすほど大きくなった現実を認めているとも読める。

LinkedInの絵文字ひとつが、アメリカ企業法の最高峰とされるデラウェア州衡平法裁判所の人事を動かした。判事はSNSを使うべきではないのか、それとも、資産8,080億ドルの人物が判事を選べる時代が来たのか。答えはまだ出ていない。だが問いそのものが、すでに何かを物語っている。


参照元

他参照


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