英国の電子税務MTD、対象78万人のうち登録は3割未満
年1回で済んだ確定申告に、四半期ごとのデジタル報告が上乗せされる。有料ソフト経由で。英国で78万人が対象となるこの制度、登録を済ませたのは3割に満たない。政府の理想と現場の反応には、深い溝がある。
年1回で済んだ確定申告に、四半期ごとのデジタル報告が上乗せされる。有料ソフト経由で。英国で78万人が対象となるこの制度、登録を済ませたのは3割に満たない。政府の理想と現場の反応には、深い溝がある。
対象78万人、登録したのは22万人弱
英税務当局HMRC(歳入関税庁)が個人事業主と家主向けに導入した「Making Tax Digital(MTD)」で、登録が想定を下回っている。The Registerの取材に対し、HMRCはこれまでに登録を済ませたのは21万9000人強だと明らかにした。対象となる78万人のうち、約28%にとどまる数字だ。
この制度は2026年4月6日に始まった新しい税年度から適用され、対象者は8月7日までに最初の四半期報告を提出しなければならない。HMRCは期日が近づくにつれて登録が加速すると見込んでいるが、残り4か月で5割以上の未登録者をどう動かすのか、具体策は見えていない。
罰則の発動は1年先送りされた。2026-27年度中は期限遅れでも罰金なし。ただしその翌年度からは、4回目の遅延で200ポンド(約4万3000円)の罰金が科される。軽くはないが、制度への不信を金額で埋められる水準でもない。
年1回から四半期ごとへ、負担は単純に4倍
MTDが何を変えるのかを整理しておく。
これまで英国の個人事業主と家主は、年に1回の確定申告で済んだ。日本の制度と近い構図だ。だが今年度からは、2024-25年度の所得が5万ポンド(約1070万円)を超える人々に対し、四半期ごとのデジタル報告が義務化された。対象者は、四半期ごとの収支更新を4回、年末に最終申告を1回、合計5回の提出を求められる。
やっかいなのは、この報告がHMRCの無料オンラインシステムでは完結しないことだ。対象者はHMRCが承認した「対応ソフトウェア」を使う必要がある。一部は無料だが多くは有料で、HMRC自身の試算では導入費用に約350ポンド(約7万5000円)、その後は年間115ポンド(約2万5000円)のコストが発生するとされる。
HMRCの広報担当者は「MTDは個人事業主と家主が税務を正しく処理することを容易にする。より実時間に近い財務状況の把握ができるようになり、ビジネスの成長に集中する時間が生まれる」と語った。
この説明を、年4回の収支報告を新たに求められ、ソフト代まで負担する当事者がどう受け止めるのか。登録率28%という数字が、ひとつの答えだ。
マーケティングは、届くべき相手に届いていない
HMRCはこの制度変更について、広範なマーケティングと広報のキャンペーンを展開してきたという。ただし広報担当者の言葉を借りれば、対象者の約4分の3には会計士などの代理人がついており、「代理人側の認知度は非常に高い」。
裏を返せばこうだ。代理人を介さない残り4分の1には、メッセージが十分に届いていない可能性がある。個人事業主と家主という層には、会計士を雇う余裕のない小規模事業者が少なからず含まれる。彼らにとって、慣れない四半期報告と有料ソフトの導入は、単なる手間の問題では済まない。
制度設計として、「代理人任せの前提」が透けて見える。自力で対応しなければならない層ほど負担が重く、同じ層ほど情報から遠い。登録率28%の内訳を開示すれば、おそらくこの分断が数字で裏付けられるだろう。
会計士を雇える層は、制度変更を代理人に任せて従来通りの働き方を続けられる。会計士を雇えない層は、未経験の四半期デジタル報告を自分で覚え、有料ソフトを契約しなければならない。制度の重さは、もっとも余裕のない層に集中する構造になっている。
2027年・2028年で、さらに175万人が巻き込まれる
現状で対象となっているのは、年間所得5万ポンドを超える層だけだ。だが閾値は段階的に下がる。
2027年4月、対象は3万ポンド(約642万円)超に拡大する。これで新たに97万人が加わる。2028年4月にはさらに2万ポンド(約428万円)超まで引き下げられ、97万5000人が追加される。2年後には、四半期デジタル報告を求められる層の規模が現在の3倍以上にふくらむ計算だ。
| 開始時期 | 所得閾値 | 新規対象者 | 累計対象者 |
|---|---|---|---|
| 2026年4月 | 5万ポンド超約1070万円 | 78万人 | 78万人 |
| 2027年4月 | 3万ポンド超約642万円 | 97万人 | 175万人 |
| 2028年4月 | 2万ポンド超約428万円 | 97万5000人 | 272万5000人 |
HMRCは28%という登録率を前にしても、対象拡大のスケジュールを崩す気配がない。制度を整える側の覚悟としては筋が通っている。だが裏を返せば、現場の混乱を織り込み済みで進めるという宣言でもある。
英国では1752年、暦の調整のため9月から11日間を削除した経緯がある。短くなった年に徴税されることを嫌った財務省は、税年度の開始を4月5日まで押し下げ、後に4月6日に移した。中世には3月25日のLady Dayを含む年4回の「四半期日(Quarter Days)」で地代や会計を清算する慣習があり、現在の税年度の日付はその名残だ。
The Registerが指摘する通り、MTDは結果として、この中世の四半期日の慣習をデジタル形式で蘇らせている。未来志向の看板の下で、数百年前の分割清算文化が戻ってくる。技術の進歩は、ときに奇妙な形をとる。
遠い国の話として片付けられるか
英国の話ではあるが、構造は日本の読者にとっても無縁ではない。
日本でも電子帳簿保存法の義務化、インボイス制度の導入、e-Tax対応の段階的拡大と、似たベクトルの動きが続いている。「デジタル化によって事務負担が減る」という政府側の説明と、「実際に小規模事業者にのしかかる学習コストと金銭コスト」のギャップは、国境を越えて共通する。
英国MTDの登録率28%という数字が示しているのは、単なる周知不足ではないのかもしれない。制度設計の側が、当事者の実態からどれだけ離れているかを測る温度計のようなものだ。期日までに登録が伸びるのか、それとも罰則猶予を再延長することになるのか。数か月後に答えが出る。
答えが出たとき、日本は何を学ぶのだろう。それとも同じ道を、少し遅れて歩くだけだろうか。
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