1メガビットDRAM商用化から40年、主役は三度入れ替わった
40年前の今日、IBMが世界で初めて1メガビットDRAMを商用機に載せた。日本勢が世界シェアの75%を押さえつつあった時代、米国が「まだ先頭にいる」と示したかった一枚のチップだった。
40年前の今日、メガビット時代が開いた
1986年4月18日、IBMが世界で初めて1メガビットのDRAMチップを商用コンピューターに搭載したと報じられた。搭載先は同社のメインフレーム IBM 3090(Sierraシリーズ)。前年に発表されたばかりのフラグシップ機だ。
当時の個人向けPCに積まれていたのは 64キロビット のメモリチップが主流で、日本勢が量産していた最先端も256キロビットにすぎなかった。一気にその4倍の容量を、1.2ミクロンプロセスで実現したのがIBMの新チップだった。
チップは米バーモント州エセックス・ジャンクションの半導体工場で作られた。IBMはそこを強調した。上級副社長のジャック・D・キューラー(Jack D. Kuehler)は、これを「我々の半導体技術における先進性の証」と位置づけた。
東京の工場ではなく、我が社のバーモント工場で作られたチップ。キューラーはその一点を繰り返し強調した。
NYTの冷めた筆致、IBMの高揚
同日付のニューヨーク・タイムズは、この発表を「稀有で、おそらくは束の間の栄光の瞬間」と書いた。日本勢がすでにDRAM市場で世界シェア75%を握りつつあり、富士通・日立・三菱・NEC・東芝がそれぞれ1メガビットDRAMをサンプル出荷段階まで持ち込んでいたからだ。量産体制に移れば、極東勢が再び首位を奪うのは時間の問題。それがメディアの読みだった。
IBMの側は、そうは受け取られたくなかった。1メガビットDRAMはIBMの3090だけでなく、System/36、System/38、ディスクキャッシュ制御装置3880にも順次展開されていく。 米国製DRAMの旗 を、誰よりも高く掲げる姿勢はここから鮮明になった。
ただ、この1メガビットDRAMが実務面で果たした役割は大きい。30ピンのSIMM(Single In-line Memory Module)に8〜9個を載せれば1MBの容量が手に入るようになり、PCの記憶容量感覚を、キロからメガに書き換えた世代だ。
搭載範囲はPC本体にとどまらなかった。プリンターやサウンドカード、Tseng ET4000やTrident TVGA 8900、Cirrus Logic GD542xといった1990年代前半のグラフィックスカードまで、この世代のメモリに乗って動いた。
「束の間の栄光」は、ほぼ当たった
NYTの懸念はおおむね的中した。1980年代後半、日本勢はDRAMで世界シェアの過半を握る時期が続き、NECや東芝、日立が世界ランキング上位に並んだ。IBM自身はメモリ事業を外販に拡大しきれず、バーモント工場は2015年にGlobalFoundriesへ移管された。米国勢のDRAMシェアは長く低迷し、いまも世界の量産DRAMで存在感があるのはMicronただ一社だ。
ところが、日本の天下も長くは続かなかった。1990年代後半、韓国のSamsungとSK hynix、そして米 Micron が価格競争とプロセス微細化で日本勢を突き放した。エルピーダメモリの破綻を経て、DRAM量産の主役は韓国2社+米1社の3社体制に収斂した。1986年のIBMの警鐘が「日本の覇権」を止めることはなかったが、日本の覇権自体も20年弱しか続かなかった。
そして2026年、主役はHBMに移った
40年後の今日、DRAM市場は再び「リーダーが他を引き離す」段階にある。ただし主戦場はメインフレームでもPCでもない。生成AIのデータセンターだ。
Samsung、SK hynix、Micronの3社は2026年のHBM・DRAM・NAND生産能力を 実質的に売り切った 状態にあり、ウエハ能力の最大40%をAI向けの高帯域メモリに振り分けている。通常DRAMの3倍のウエハを食うHBMに生産が傾いた結果、コンシューマー向けDDR5の契約価格はこの1年で2倍以上に跳ね上がった。
Samsungは32GBのDDR5モジュールの契約価格を2025年9月の149ドルから同年11月に239ドル(約3万7000円)へ引き上げた。値上げはそこで止まらず、2026年第1四半期にはさらに前期比約100%の上乗せ、第2四半期の契約でもおおむね30%の追加引き上げが決まっている。DDR4のスポット価格は過去12ヶ月で2200%という異常な上昇を記録した。
不足がここまで露骨に数字に出るのは、 1980年代の日米メモリ摩擦期以来 のことだ。
SKグループ会長のチェ・テウォン(崔泰源)は、このメモリ不足が2030年まで続くと踏んでいる。サムスンは顧客との3〜5年の長期契約を検討し始め、Micronはコンシューマーメモリ市場からの撤退を正式に表明した。
1メガビットDRAMが1MBのSIMMに姿を変えた40年前、PCのメモリ容量はキロ単位から抜け出そうとしていた。いまはギガバイト単位のHBMスタックが、AIアクセラレータ1枚に数百GB積まれる時代だ。キロからメガ、メガからギガ、そしてテラへ。40年でスケールは6桁動いた。AIのためにテラバイト級メモリが要るなんて、IBMのバーモント工場の誰が想像しただろうか。
40年で3回入れ替わった主役
1986年、IBMは「アメリカ対日本」の構図で自社の1メガビットDRAMを売り込んだ。あの構図は20年で崩れ、日本は主役の座を韓国に明け渡した。そして2026年、韓国と米国の3社が、AIバブルとHBMという別種の地殻変動に乗ってメモリ市場を握っている。
技術の進歩は真っ直ぐには進まない。誰が勝つか、どこで作るか、何に使うか。40年のスパンで見ると、すべての答えが一度ずつ書き換わっている。
次にこの構図が入れ替わるとき、主役は中国の CXMT なのか、それともまだ誰も名前を知らない新しいプレーヤーなのか。40年後に振り返ると、また違う景色が見えているのかもしれない。
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