12億ドルの買収提示を蹴ったAirwallex、Stripeに反撃

2018年、Airwallexの創業者ジャック・チャンはStripeから12億ドル(約1900億円)の買収提示を受け、一度はイエスと答えた。売上倍率600倍の破格の条件を、なぜ彼は撤回したのか。

12億ドルの買収提示を蹴ったAirwallex、Stripeに反撃

2018年、Airwallexの創業者ジャック・チャンはStripeから12億ドル(約1900億円)の買収提示を受け、一度はイエスと答えた。売上倍率600倍の破格の条件を、なぜ彼は撤回したのか。


コリソン兄弟の使者が提示した「世代的起業家の元への集約」

Stripeが世界最大級のフィンテック企業として、毎年恒例のテンダーオファーで評価額を切り上げ続けている。2026年2月のラウンドで評価額は1590億ドル(約25兆円)に達し、前年から74%上昇した。

その一方で、かつてStripeが買収しようとして失敗した企業が、今や正面から挑戦してくる立場に回っている。Melbourne発のAirwallexが、サンフランシスコを第二本社に据えて米国市場に攻め込んできた。

TechCrunchが報じたのは、両社の因縁の出発点にある買収交渉の顛末だった。2018年、当時34歳だったチャンは、セコイア・キャピタルのマイケル・モリッツの自宅に招かれた。ゴールデンゲートブリッジが見える邸宅で、モリッツはチャンに売却を説いた。

買収額は12億ドル。Airwallexの年商は当時およそ200万ドルだったから、売上倍率にして600倍近い。モリッツは、パトリック・コリソンは「世代的な起業家」だと語り、この取引は「複利的に成長する」と説得した。

2週間歩き回り、約1万2900キロ飛んで、ホワイトボードに戻った

チャンは一度イエスと答えた。サンフランシスコを2週間歩き回り、眠れない夜を過ごした末の返事だった。しかしその後、彼は自宅のあるオーストラリアへ約8000マイル(約1万2900キロ)を飛んで戻り、そこで決断を覆した。

「Airwallexを立ち上げた動機の深いところまで掘り下げたんだ。起業家とはどういうものかをやっと味わい始めたところだった。それがずっと夢見てきたことだったから」

決め手は共同創業者3人のうち2人が売却に反対したことと、オフィスのホワイトボードに残されたまだ未完成のビジョンだった。現地企業のように世界展開できる金融インフラの構想が、まだ途中だったのだ。

あの判断が正解だったかは、数字で答えが出つつある。Airwallexの年商換算収益は2025年10月時点で10億ドルを突破し、前年比90%成長。2026年4月現在、チャンの説明によれば年商は13億ドルに達し、前年比85%で伸びている。年間取引高はおよそ3000億ドル(約47兆円)規模に迫る。

数字だけ並べると、チャンは10億ドル単位の「しくじり」を回避したように見える。ただしこの話の核心は金額ではない。彼が売上倍率600倍の提示を蹴ったこと自体が、フィンテックの競争構造をめぐる一つの賭けだった。


中国からメルボルンへ、15歳の単身留学とガソリンスタンドの夜勤

チャンの経歴には、この種の判断を下せる土壌がある。彼は中国・青島の出身で、15歳のときに両親を中国に残してメルボルンに渡った。英語はほとんど話せず、ホストファミリーに預けられた。家族の財政が傾いた後は、メルボルン大学のコンピュータサイエンス学位をとりながら4つの仕事を掛け持ちした。バーテンダー、皿洗い、ガソリンスタンドの深夜シフト、そして夏休みの農場でのレモン収穫。本人が後に「人生で一番きつかった仕事」と語っているのはレモン摘みだ。

Airwallex以前に、チャンは10社ほどの事業を立ち上げている。14歳で創刊した雑誌、不動産開発会社、オーストラリアからアジアへのワインとオリーブオイルの輸出、逆方向のテキスタイル輸入、ハンバーガーチェーン。そしてメルボルンのコーヒーショップ。

Airwallexの原点となったのもコーヒーショップでの体験だった。共同創業者のマックス・リーが、ブラジル、インドネシア、グアテマラのコーヒー豆業者に支払おうとするたび、送金がコルレス銀行の網に引っかかって戻ってきた。米国の仲介銀行がOFAC(米財務省外国資産管理室)の制裁規則で払い出しを止め、数週間後に差し戻されることも珍しくなかった。この体験は一杯のコーヒーの話ではなく、世界の小規模事業者が「既存の金融インフラに適合しない」という構造的問題の縮図だった。


ライセンス90本という「時間の堀」

Airwallexが掲げる戦略は、チャンの言葉では「最大抵抗の道」(path of maximum resistance)と呼ばれる。手っ取り早いAPI連携ではなく、各国の金融ライセンスを自前で取得し、中央銀行と直接つながるインフラを積み上げる。そういう遠回りの道だ。

同社は50の市場にまたがって約90の金融ライセンスを保有している。チャンの見立てでは、Stripeが保有するライセンスはこの「半分程度がせいぜい」だという。日本単体でライセンス取得に7年を要した。新興国市場では、中央銀行が新規発行を停止したライセンスを保有する既存企業を買収し、その下の技術を丸ごと作り直すしかなかったという。

「メキシコの中央銀行との統合を『バイブコーディング』でこなすことはできない。我々のオフィスには、生体認証スキャンでしか入れないセキュアルームがあって、そこからしか中央銀行システムにアクセスできない」

このライセンスの束が実際の競争優位につながっているかどうかは、日本のケースで測れる。StripeやSquareは日本で決済を処理できるが、資金決済法上は売上を直ちに加盟店の銀行口座に送金しなければならない。一方、Airwallexは資金移動業ライセンスを保有しているため、資金を自社エコシステム内に保持できる。

つまり顧客は、Airwallex上で銀行口座を発行し、カードを発行し、プラットフォームから資金が外に出ることなく支払いを実行できる。為替の経済性も無視できない。米国の加盟店が豪ドルで取引を決済する場合、Stripeのようなプロセッサーが米ドルに戻すときに通常課す2〜3%の換算手数料を回避できる。残った豪ドル残高で現地ベンダーへの支払い、給与、広告費をインターバンクレートで処理できる。

「もうあなたは米国企業として動いているんじゃない。世界中に実体のある企業として動いている。ただし、実際に法人を設立する必要はない。そういう状態だ」

Stripeは評価額で20倍、でも決済量では6倍しか上ではない

2025年12月の資金調達で、Airwallexは80億ドル(約1兆2600億円)の評価額を付けた。Stripeの1590億ドルと比べると、およそ20分の1。評価額だけ見れば小さな挑戦者だ。

ところがチャンに言わせれば、Stripeの決済ボリュームはAirwallexの20倍ではなく6倍程度だという。Stripeの2025年総決済量は1.9兆ドル、Airwallexの年間取引高は3000億ドル弱。この比率を信じるなら、評価額と事業規模の間にはかなりのギャップがある。

チャンは来年までに年商20億ドル、売上高85%成長を維持すると語る。評価額の差は埋まらなくても、売上の差は縮む——そういう賭けだ。

この差が市場で意識されるかどうかは、IPOという出口にかかっている。チャンは上場は「最短でも3〜5年先」だと言う。その間に何が起きるかが、フィンテックの地殻変動を決める。


Stripeという「シリコンバレーの寵児」、そして越えられないブランド格差

問題は評価額やライセンス数だけではない。Stripeは非上場のまま、既にシリコンバレーの寵児になっている。2025年の決済プラットフォームの総決済量1.9兆ドル、テンダーオファーの度にエンプロイーがミリオネアになる企業。

Airwallexの顧客獲得は長らく、オーストラリアや東南アジアのCFOオフィスを中心に回ってきた。財務責任者やトレジャリー担当が主な売り先だ。Stripeは米国の開発者が新規事業を立ち上げるときの「標準の最初の選択肢」として広まった。セールスモーションがそもそも違う。

Airwallex顧客の9割以上は、ビジネスアカウント機能から入り、そのあと決済や支出管理を積み増していく。既に半分以上が複数プロダクトを利用しているという。ただしチャンは、米国の創業者が反射的にAirwallexの名前を出す状態にはまだ遠いと認める。

「我々のブランドはまだそこに到達していない。これは勝ち取るのが難しい競争だ」

シリコンバレーのデフォルト選択肢という位置を崩すのは、技術的優位だけでは足りない。しかもAirwallexへの初期投資家だったセコイアは、Stripeにも長く取締役を送ってきた。投資ファンドのグリーンオークス・キャピタルは両社の株主でもある。チャンはこのキャップテーブルの重なりについて、「投資家は巨大市場に賭けているだけだ」と肩をすくめてみせた。

去年のグリーンオークスの年次イベントで、二人は言葉を交わさなかった

2018年の買収交渉が続いていた頃、チャンとパトリック・コリソンは「友人ではないが、友好的だった」という。去年、グリーンオークス・キャピタルの年次ガザリングで、二人は同じ部屋にいた。

そしてひと言も話さなかった。

この沈黙は、両社の立ち位置が変わったことを示している。かつては12億ドルで取り込もうとした相手。今は、それぞれのホームグラウンドで正面から相手を削りにくる競合だ。

世界の決済インフラが「開発者中心のデフォルト」と「規制ライセンスの積み上げ」のどちらに収束するのか。フィンテックの2026年は、この問いで動き始めている。

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