トヨタ紡織のクラウンシート、49万5000円で家庭へ

トヨタ自動車の「クラウン」のフロントシートが、49万5000円のデスクチェアになった。トヨタ紡織が70脚限定で受注を開始している。Tom's Hardwareは「ゲーミングチェア」として報じたが、当事者の見ている景色は少し違う。

トヨタ紡織のクラウンシート、49万5000円で家庭へ
トヨタ紡織

トヨタ自動車の「クラウン」のフロントシートが、49万5000円のデスクチェアになった。トヨタ紡織が70脚限定で受注を開始している。Tom's Hardwareは「ゲーミングチェア」として報じたが、当事者の見ている景色は少し違う。


クラウンの運転席が、そのままデスクへ

トヨタ紡織が開発した「"CROWN SEAT" Desk Chair」は、現行クラウンのフロントシートをベースにしている。骨格・ウレタンクッション・本革表皮はクラウン用シートの製造ラインで作られたもので、つまり中身はクラウンそのものだ。

そこにイトーキが脚部とアームレストの構造を提供し、デスクチェアとして仕立てた。回転キャスター付きの脚を用意し、自動車に固定するためのシートレールは取り払っている。リクライニング・リフター・フロントチルト・ランバーサポートの4つを電動駆動で動かし、シートヒーターとベンチレーションを3段階で調整できる。

電源は内蔵の充電式バッテリー。コンセントにつながずにヒーターやリクライニングを動かせる。これは自動車シートが本来「移動する閉空間」のために作られたという出自を、家庭でもそのまま活かす仕掛けだ。

価格は49万5000円(税込、約3,500ドル)。販売は国内のクラウン専門店「THE CROWN」各店舗のみで、6月27日まで受注を受け付ける。納品は9月頃の予定。需要が予定数を上回れば抽選販売に切り替わる。## シートベルトのバックルが、USB-Cポートになる

このデスクチェアで一番象徴的なのが、シートベルトのバックル部分だ。トヨタ紡織は本来のシートベルトを取り去らず、バックルの形状をそのまま残した上で、その内側をUSB-Cポートに改造した。

ベルトバックル部にUSB-Cポートを装備。手元でスマートに充電できます。 (トヨタ紡織 製品カタログより)

機能としては「手元で充電できるUSBポート」だが、意味としてはクラウンの痕跡そのものだ。バックルを残せば、座る人は無意識に「ベルトを締めようか」と一瞬手が伸びる。トヨタ紡織は機能性ではなく、記憶の手触りを残すためにこの設計を選んでいる。

椅子としての効率を最優先するなら、バックルは取り外してUSBポートだけ別の場所に付ければいい。それをしないのは、この製品が便利な椅子ではなくクラウンを所有する体験を売っているからだ。

トヨタ紡織はサプライヤーではなく、座る技術の専門家

ここで誤解されがちなのが、「トヨタ紡織=自動車部品メーカー」というイメージだ。たしかに自動車用シートでは国内シェア1位、世界シェアでも3位を持つ最大手の内装サプライヤーだが、それだけではない。

新幹線グランクラスのシート、そして航空機の座席もトヨタ紡織が手がけている。

トヨタ紡織は自動車のほかにも北陸新幹線・上越新幹線のグランクラスのシートや航空機のシートも手掛けており、快適に長時間着座するためのさまざまな技術を蓄積している。 (GetNavi web より)

長時間座っても疲れない設計、温度・湿度のコントロール、振動の吸収。これらは自動車に閉じた技術ではなく、「人間が座り続ける」という行為の汎用技術だ。

クラウンのシートをデスクチェアにする発想は、突発的なノベルティ企画ではない。座席という製品カテゴリの境界線を、サプライヤー側から崩しに来た動きだと見たほうがいい。ハーマンミラーやスチールケースが支配してきたプレミアムオフィスチェア市場に、自動車サプライヤーが「我々のほうが座る技術は深い」と言って入ってきた構図だ。

Tom's Hardwareは「ゲーミングチェア」と呼んだ

この製品を米国のテックメディアTom's Hardwareは「Toyota's limited edition $3,500 Crown gaming chair」という見出しで取り上げた。記事内では「driving sims(ドライビングシミュレータ)に良い選択かもしれない」と評している。

Highly adjustable chair with rechargeable battery could be a good choice for driving sims. (高度に調整可能で充電式バッテリーを搭載した椅子は、ドライビングシミュレータに良い選択肢かもしれない。Tom's Hardware より)

一方でトヨタ紡織のリリースには、「ゲーミング」「ゲーマー」という単語は一切登場しない。当事者が一貫して使っているのは「デスクチェア」であり、「オフィスや生活空間向け製品」という言葉だ。当事者が選んだ言葉と、それを取り上げたメディアが選んだ言葉。両者がずれることは、この製品の本質を考える上で見逃せない。

この温度差は無視できない。シートヒーター、電動リクライニング、内蔵バッテリー、本革張り。米欧の読者から見ればこの組み合わせは、レーシングシミュレータ用のゲーミングチェアの自然な延長線上にある。レカロやポルシェ・デザインのように、自動車シート由来のオフィスチェアは欧州で長い歴史を持ち、いずれもゲーミング・モータースポーツ文化の文脈で語られてきた。

ただ、トヨタ紡織が狙っているのはおそらくその文脈ではない。「いつかはクラウン」というブランド遺産の拡張であり、運転免許を持たない層、もしくはクラウンには手が届かないが49万円なら出せる層に届ける狙いだ。これはレース文化への参入ではなく、高級車ブランドのライセンス展開に近い。


70脚という数字が示すもの

70脚という限定数は、本気の市場参入を示すには小さすぎる。だが、テストマーケティングとしてはちょうどいい規模だ。49万5000円という価格設定で日本国内の需要曲線を測り、購入者の属性データを取り、9月の納品後に使用者からのフィードバックを集める。そこで手応えがあれば、第二弾、第三弾が出てくるはずだ。

THE CROWN COLLECTIONというブランド名がそれを暗示している。コレクションという複数形のネーミングは、これが一品物ではなく継続シリーズの第一弾であることを意味している。クラウンというブランドを軸に、シート以外の生活領域へ拡張していく構想が既に視野に入っているのかもしれない。

トヨタ紡織は今回、自動車部品サプライヤーとして川下に降りる練習をしている。完成車メーカーから注文を受けて作るBtoBから、エンドユーザーに直接届けるBtoCへ。ここで70脚を完売できるか、抽選になるほど集まるかが、今後の判断材料になる。

クラウンの運転席に座ったことのある人が、自宅でも同じ姿勢で過ごせる。それを「便利」と呼ぶか「贅沢」と呼ぶかで、この製品の意味は変わる。少なくとも、ハーマンミラーのアーロンチェア最上位グレードとほぼ同価格帯で、自動車シートの本革と電動機構を持つ椅子が出てきたという事実は残る。

座席という製品カテゴリで、自動車と家具の壁が薄くなった。次に薄くなるのは、どの壁だろうか。


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