食料品店の監視型価格設定を米国で初めて禁止、メリーランド州

メリーランド州が米国で初めて、食料品店における監視型価格設定の禁止に踏み込んだ。州知事のウェス・ムーアが4月28日に署名した法律は、批判する側からはすでに「抜け穴だらけだ」と評されている。

食料品店の監視型価格設定を米国で初めて禁止、メリーランド州

メリーランド州が米国で初めて、食料品店における監視型価格設定の禁止に踏み込んだ。州知事のウェス・ムーアが4月28日に署名した法律は、批判する側からはすでに「抜け穴だらけだ」と評されている。


ウェス・ムーア知事が署名した「初の州法」

メリーランド州は、米国で初めて食料品店の監視型価格設定(surveillance pricing)を禁じる州になった。同州知事のウェス・ムーア(Wes Moore)が4月28日、「略奪的価格設定からの保護法」(Protection from Predatory Pricing Act, HB 895)に署名し、法律として成立させた。施行は2026年10月1日からだ。

監視型価格設定とは、消費者の位置情報や検索履歴、年齢、収入、人種といった個人データをもとに、同じ商品でも個人ごとに違う価格を提示する仕組みを指す。同じ瞬間に同じ店で同じ袋詰めの米を買っても、隣に立つ別の客とは支払う金額が違う。そんな状況がすでに実装可能な技術として広まっている、という現実への規制が、ようやく一つの州レベルで動き出したことになる。

「人々があらゆるコスト、特に食料品の値段に押しつぶされそうになっている時代に、メリーランドはただ押し返すだけでなく、前に進む」

ムーアは署名式でそう語った。法律は食料品小売業者と、インスタカートのような第三者配達サービスに対し、個人データを使って高い価格を設定することを禁じる。対象は店舗面積1万5000平方フィート(約1394平方メートル)以上の大型食料品店と、税金がかからない食料品を配達するサービスに限られている。

なぜいま、州が動いたのか

連邦レベルでは、すでに規制の流れが止まっている。

連邦取引委員会(FTC)は2024年7月、マスターカードやJPモルガン・チェースを含む8社に対し、監視型価格設定の使用状況を調べるための情報提出命令を出した。当時の委員長はリナ・カーンで、2025年1月にはAIなどで個人情報を価格設定に利用する実態を示す初期報告書を公表した。

ところが、政権交代でFTCのトップに座ったアンドリュー・ファーガソンは、前政権の調査を「拙速にまとめた仕事」と切り捨てた。2025年1月にはパブリックコメントの受付期間を打ち切り、調査そのものを事実上の塩漬けにしたと、米メディアは報じている。

この空白を、州が埋めにかかった。電子プライバシー情報センター(Electronic Privacy Information Center, EPIC)の弁護士トム・マクブリエン(Tom McBrien)は、連邦が動かないからこそメリーランドのような州が踏み出す必要がある、と説明している。

監視型価格設定は、企業と消費者の情報格差を最大限に利用して、消費者が「ぎりぎり払ってもいい」と考える金額まで価格を引き上げる行為だ、と批判する側は指摘している。これは値引きの最適化ではなく、搾取の最適化に近い。法律の支持者がこの法案を急いだ背景には、こうした認識がある。


それでも残る、いくつもの抜け穴

ただ、この法律は反監視派の擁護者たちから見て満足できる内容ではない。マクブリエンも、メリーランドが踏み出したことは歓迎しつつ、こう続けている。

業界のロビー活動の結果、いくつもの「免除規定」が法律に書き込まれた。ロイヤリティプログラムやプロモーション割引は対象外。基準価格を設定する義務はないため、企業がいったん全員に対して値段を上げてから、特定の客にだけ「割引」を提示すれば、結果として個別価格を実現できてしまう。マクブリエンの表現を借りれば、同じ結果に別のルートで到達できるが、消費者からは検出しづらい

コンシューマー・レポート(Consumer Reports)も、自身がインスタカートの価格設定を調査して問題を提起した経緯があるだけに、今回の法律の「執行規定の弱さ」を強く批判している。

「メリーランドの議会には来年、再びこの法律を見直し、消費者保護を強化し、法の意図を損なう抜け穴を取り除くよう求める」

最も鋭い批判は、執行の構造そのものに向けられている。法律違反を訴えることができるのは州司法長官だけで、個々の消費者は企業を直接訴えることができない。米国経済自由プロジェクト(American Economic Liberties Project)の上級法律顧問リー・ヘプナー(Lee Hepner)はこう語る。

「私的訴権は、説明責任の根本的な要素だ。意味のある執行の脅威こそが、法律違反を抑止する唯一の有効な手段だ」

つまり、違反しても訴えられにくい仕組みになっている、という指摘だ。

「最初の州」が「ひな型」になる怖さ

メリーランドが「米国初」を掲げたこと自体は、政治的には強いメッセージになる。だが、批判する側の懸念は、まさにそこにある。

ヘプナーは、メリーランド法案の最大の脅威は他の州がこれをモデルとして真似ることだ、と語っている。コロラド、カリフォルニア、マサチューセッツ、イリノイ、ニュージャージーといった州ですでに同様の法案が検討されている。もしメリーランド版が「業界が書いた、現状維持を許可する署名」として広がっていけば、結果として全米の規制が骨抜きの方向に収斂していく可能性がある。

実際、メリーランド州小売業者協会、メリーランド食料品工業評議会といった業界団体は、当初は反対していたが、修正を経て最終的には「中立」に立場を変えた。三団体の代表者であるケイリー・ロックレアは「ビジネスが消費者の期待する割引を提供できるよう、膨大な数の修正と変更が加えられ、機能する枠組みになった」と評価している。業界が「中立」になったタイミングで法案が通った、という事実そのものが、批判する側にとっては危険信号として映る。

一方で、全米食料品協会(NGA)は別の角度から反発している。独立系の食料品店はそもそもこんなことをやっていない、として法律は実態のない問題を解決しようとしているだけだ、というスタンスだ。実際の監視型価格設定は中間業者やテック企業が技術として提供しており、独立系の小規模店が自前でやっているわけではない、という反論には一定の説得力がある。

電子棚札の普及がもたらす緊張

技術的な背景にも触れておきたい。ウォルマートは2026年中に米国の全店舗で電子棚札(Digital Shelf Labels)の導入を完了する計画を進めている。紙の値札を職員が手で張り替える必要がなくなり、本部から一斉に価格を更新できるようになる。

ウォルマートは「全顧客に対して同じ価格を表示する。需要・時間帯・買い物客に応じて変えることはしない」と明言している。だが、技術的には数秒単位の価格変更が可能になっており、消費者の不信感は強い。日本でもビックカメラやイオン九州が同様の技術を導入しているが、日本の消費者は同じ温度で警戒しているわけではない。アメリカの場合、過去のサージプライシング騒動の記憶が、すべての電子値札への警戒に直結している。

メリーランドの法律は、こうした技術が悪用される可能性を先回りして抑え込もうとしたものだ、とも言える。だが、抜け穴が多ければ、結果として電子棚札の導入が進むのと並行して、個別最適化された「割引」という名の差別価格が広がっていく可能性がある。


一歩は一歩、しかし「最初の一歩」は強い

監視型価格設定への規制は、米国でようやく一つの州が踏み出した段階にすぎない。法律は完璧ではないし、書いた人たちの一部は完璧ではないことを認めている。

それでも、「個人データを使って同じ商品を別の人に違う値段で売る」という行為が、法律の対象として明示されたのは初めてだ。たとえ抜け穴があっても、輪郭が引かれたという事実は次の議論の出発点になる。

問題は、この法律が「最初の一歩」として記憶されるのか、それとも業界が望む形のひな型として全米に広がるのか、という点だ。判断は、コロラドやカリフォルニアやニューヨークの議会が、これからの数年でどう動くかにかかっている。

監視されながら買い物をする時代に、自分が「いくらまで払う気があると見られているか」を知る権利は、果たして消費者にあるのだろうか。今回の法律は、その問いをまだ完全には解いていない。


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