Apple、英国のiCloudバックドア命令に2度目の法的異議

英国政府がAppleに暗号化データへのアクセスを求める命令を再び出した。Appleはこれを拒否し、法廷に持ち込んだ。1年半にわたる攻防が新たな局面に入る。

Apple、英国のiCloudバックドア命令に2度目の法的異議

英国政府がAppleに暗号化データへのアクセスを求める命令を再び出した。Appleはこれを拒否し、法廷に持ち込んだ。1年半にわたる攻防が新たな局面に入る。


撤回された命令と、その焼き直し

Appleが英国の捜査権限審判所(IPT)に新たな訴えを提出した。Financial Timesが報じたところによると、訴えは2026年7月に提出され、裁判所の命令文書によって公になった。

標的になっているのは、iCloudの「高度なデータ保護」(Advanced Data Protection、以下ADP)だ。ADPを有効にすると、iCloudバックアップ、写真、メモなど10カテゴリのデータがエンドツーエンド暗号化され、Apple自身も復号できなくなる。暗号化の鍵はユーザーのデバイスにしか存在しない。

英国政府は2025年1月、捜査権限法(Investigatory Powers Act)に基づく「技術能力通知」(Technical Capability Notice、TCN)をAppleに発行した。世界中のiCloudユーザーのADPデータにアクセスできるよう、暗号化を解除する仕組みを構築せよという命令だ。

Appleは従わなかった。代わりに2025年2月、英国の新規ユーザー向けのADPを無効化した。既存ユーザーには自分で機能をオフにする猶予期間が設けられた。Appleは「深く失望している」と述べ、3月にはIPTに法的異議を申し立てた。

だがこの最初の訴えは、2025年10月に棄却された。理由は「状況の変化」。英国政府が最初のTCNを撤回したため、訴えの前提が消えたと判断された。

撤回の裏には、米国からの圧力があった。米国国家情報長官のトゥルシー・ギャバード(Tulsi Gabbard)氏は2025年8月、英国が全世界を対象としたバックドア要求を取り下げたと発表した。トランプ大統領自身もスターマー首相との会談後、英国の要求を「中国でやることだ」と批判している。

ここで終わっていれば、一つの決着だった。しかし英国政府は同年10月、2回目のTCNを発行した。今度は対象を英国ユーザーのみに絞った修正版だ。対米摩擦を避けつつ、暗号化データへのアクセスは諦めない。内務省は、範囲を狭めればAppleも異議を唱えにくくなると見込んだとされる。

Appleはその読みを退けた。2度目のIPT訴えが、その回答だ。

秘密と公開の間で

この法廷闘争を複雑にしているのが、TCN制度そのものの秘密主義だ。捜査権限法のもとで発行されるTCNは、存在自体が秘密扱いとなる。受け取った企業は通知の存在を認めることすら許されず、違反すれば刑事罰の対象になる。

Appleも英国内務省も、TCNについて公式にはコメントできない。今回の訴えが公になったのは、裁判所が発行した命令文書を通じてだ。

秘密主義への風穴を開けたのは、最初の訴えの過程だった。2025年4月、IPTは内務省の完全非公開要求を退け、「事件の基本的な事実の開示が公共の利益を損なうとは認めない」と判示した。

同年7月には、Appleの訴えと、人権団体Privacy InternationalやLibertyが提起した並行訴訟を公開審理で扱う方針を決定。実際の事実ではなく「想定事実」を用いることで、秘密情報を開示せずに公開法廷で議論できる枠組みを採った。

最初の訴えは「状況の変化」で消えたが、2回目の訴えによって法廷闘争は再開する。裁判所はPrivacy Internationalに対してAppleの新訴えを通知しており、2026年9月に並行訴訟の取り扱いを決める審理が予定されている。Privacy Internationalは声明で「Appleが再び英国の秘密命令制度に異議を唱えたことを歓迎する」と述べた。

iCloudバックドア命令をめぐる攻防
2025年1月
英国が1回目のTCN発行
世界中のiCloudユーザーの暗号化データへのアクセスを要求
2025年2月
AppleがUKでADPを無効化
バックドアを拒否し、英国での暗号化機能そのものを停止
2025年3月
Appleが1度目の法的異議を提出
捜査権限審判所(IPT)に訴えを提出
2025年4月
IPTが完全非公開を却下
「基本的事実の開示は公共の利益を損なわない」と判示
2025年8月
米国がTCN撤回を発表
ギャバード国家情報長官が「英国はバックドア要求を撤回した」と公表
2025年10月
最初の訴え棄却・2回目TCN発行
対象を英国ユーザーに縮小した修正命令を再発行
2026年7月
Appleが2度目の法的異議を提出
英国限定の修正命令に対してIPTへ再訴
2026年9月
並行訴訟の審理を予定
AppleとPrivacy International・Libertyの訴訟の取り扱いを決定へ
※TCN=技術能力通知。捜査権限法に基づく秘密命令で、受領企業は存在を公にできない

「英国限定」という虚構

2回目のTCNが1回目と異なるのは、対象が英国ユーザーに限定されている点だ。だがこの「限定」が技術的に意味をなすかは疑わしい。

電子フロンティア財団(EFF)は2025年10月の論評で、「英国ユーザー限定にしたところで、何も良くならない」と断じた。暗号化のバックドアは、特定のユーザーだけに適用されるものではない。暗号化の仕組みそのものに穴を開ける以上、その穴は全員に影響する。

ADPの設計思想はシンプルだ。暗号化の鍵がユーザーのデバイスにだけ存在し、Appleのサーバーにはない。だからAppleは復号できない。法執行機関が令状を持ってAppleに来ても、渡すデータがない。これが「設計上不可能」という意味だ。

この構造を英国ユーザーに限って崩すには、ユーザーの所在国を判別し、該当する鍵だけをサーバーに送る仕組みを新たに作る必要がある。あるいは暗号化プロトコル自体に英国向けの例外を設ける必要がある。いずれにしても、暗号化の完全性に穴が開く。その穴は英国政府だけが使えるわけではない。

Appleは繰り返し、同じ立場を表明してきた。

当社は自社の製品やサービスにバックドアやマスターキーを組み込んだことは一度もなく、今後も決してそうすることはない。

1回目のTCNに対してADPを英国で無効化したのは、この原則を守るための措置だった。バックドアを作る代わりに機能そのものを止めた。だが英国のユーザーにとっては、暗号化の選択肢を失ったことになる。ADPが無効化されたiCloudバックアップは、Appleが復号可能な状態でサーバーに保存される。英国政府が令状を取れば、アクセスできる。

英国政府の主張は一貫している。TCNはテロリズムや児童性的虐待の捜査に不可欠であり、法律には安全措置が設けられており、真に必要な場合にのみ使用されるという立場だ。

だがこの論理は、暗号化のバックドアが「善人だけに使える特別な鍵」であることを前提にしている。技術的には、そのような鍵は存在しない。

1年半の軌跡

振り返ると、この攻防は3つの局面を経てきた。

最初は2025年前半。世界規模のTCNが発行され、Appleが英国でのADPを無効化し、法的異議を申し立て、IPTが完全非公開を退けた。この段階では英国政府の野心的な要求に対し、米国議会、トランプ政権、人権団体、暗号学者が一斉に反発した。

次が2025年後半。米国の外圧で世界規模のTCNが撤回され、Appleの最初の訴えは「状況の変化」で消えた。だが内務省はすぐに2回目のTCNを発行し、対象を英国に絞り直した。

そして今。Appleが2度目の法的異議を提出し、法廷闘争が再開した。Privacy InternationalとLibertyの訴訟も並行して進む。

英国政府は、暗号化されたデータへのアクセスを諦めていない。命令の範囲を縮小し、同じ要求を繰り返している。Appleはそのたびに法廷に持ち込む姿勢を崩していない。

この争いの帰結は、英国だけの話では終わらない。英国で認められれば、次は別の国が同じ要求を出す。民主主義国家がテクノロジー企業に暗号化の解除を強制できるかどうか、その最初の判例になりうる。

一つだけ確かなことがある。命令が何度撤回され、何度書き直されても、暗号化に穴を開けるという要求の本質は変わらない。

関連記事

この記事を共有する