NASAが火星を「未実証の会社」に託した理由

NASAが火星を「未実証の会社」に託した理由

軌道に一度も到達したことのないロケット会社が、火星ミッションの契約を勝ち取った。3Dプリントロケットで知られるレラティビティ・スペースが、NASAの火星大気観測ミッション「アイオロス」(Aeolus)のパートナーに選ばれた。現地時間6月17日の発表。打ち上げは2028年を目指す。まだ自社ロケットが飛んでいない会社への、異例の発注だ。だが異例なのは契約相手だけではない。この4か月前、火星を20年語り続けたSpaceXが火星計画を棚上げし、月に舵を切っていた。


テラン1は軌道に届かなかった

レラティビティ・スペースは2015年、SpaceXとBlue Originの元エンジニア2人が設立した。3Dプリンターでロケットの大半を製造するという野心的なアプローチで投資家の資金を集め、累計24億ドルを調達。だが2023年3月、初号機テラン1の打ち上げは2段目の不具合で軌道に届かず終わった。

そのまま開発資金が枯渇しかけたところへ現れたのが、エリック・シュミット(Eric Schmidt)氏だ。Google元CEOにして世界有数の資産家は、2025年3月にレラティビティの支配株式を取得してCEOに就任した。既存の投資家たちは持ち分をほぼゼロに減損処理している。シュミット氏にとって約15年ぶりのCEO職だった。

就任後、レラティビティは大型ロケット「テランR」の開発に全力を注いでいる。テランRは低軌道に再使用で2万3500kg、使い捨てで3万3500kgを投入する設計で、Falcon 9を上回るペイロード能力を狙う。2026年後半にケープカナベラルのLC-16から初打ち上げを予定しているが、業界筋では2027年にずれ込むとの見方もある。受注残は30億ドル超。OneWebやSESとの複数回打ち上げ契約を抱え、紙の上では需要に困っていない。

アイオロスが見るもの

NASAが今回のパートナーシップで投入するのは、自ら設計・製造する4つの観測機器群だ。

ドップラー風速・気温サウンダー(DWTS-Ozone)は地表から高度約60kmまでの風速と気温の鉛直プロファイルを取得する。熱リムサウンダー(TLS)はダストと水氷雲の分布を捉え、地表放射計パッケージ(SuRSeP)は地表のエネルギー収支を計測。そして広角カメラ(WFCC)が、火星の大気活動を毎日グローバルに撮影する。

NASAはこれを「火星の風・気温・ダスト・雲の統合的な全球日次観測を実現する初のミッション」と位置づけている。MAVEN、Mars Reconnaissance Orbiter、Mars Odysseyと20年以上にわたる大気観測の蓄積を受け継ぎつつ、将来の有人着陸に不可欠なデータ、つまり大気突入・降下・着陸のリスク低減に直結する気象情報を集める。

機器の設計・製造・統合はNASAエイムズ研究センターが担う。レラティビティ側は探査機本体の開発、打ち上げ、巡航運用を受け持つ。NASAは少なくとも1火星年(約687地球日)の観測運用を支援し、生データを研究者向けのデータプロダクトに変換するパイプラインも構築する。契約の枠組みは、NASAとして初となる6年間の償還型宇宙協定(Space Act Agreement)だ。

ISSへの貨物輸送と同じモデル

この契約形態に見覚えがある人は多いだろう。NASAが科学を、民間企業がインフラを担う。SpaceXがISSへの貨物輸送で実績を積んだCommercial Resupplyプログラムと、Firefly Aerospaceが月着陸船で採用されたCLPS(Commercial Lunar Payload Services)。アイオロスはその延長線上にある。

ジャレッド・アイザックマン(Jared Isaacman)NASA長官は発表時、この官民分担の考え方を明確に打ち出した。企業が開発コストの一部を負担する代わり、NASAは限られた予算でより多くのミッションを回せる。企業側はNASA契約を足がかりに、衛星打ち上げや月輸送などの商業市場を開拓できる。

ただし、「商業的に成り立つ深宇宙サービス」の市場が本当に存在するかは、まだ誰にもわからない。月面輸送は政府と少数の民間需要が見えてきたが、火星周回軌道サービスの民間顧客は現時点で想定しにくい。レラティビティがこのミッションで得る最大の価値は、金銭よりも実績と信用だ。

SpaceXが火星から離れた隙間

見逃せない背景がある。

2024年9月、イーロン・マスク氏は2026年の地球-火星トランスファーウィンドウにStarship 5機を無人で送ると宣言していた。2025年5月の更新では「50%の確率」と後退。そして2026年2月、SpaceXは火星計画を「5〜7年」先送りし、月面都市「Moon Base Alpha」構想に軸足を移すと発表した。Artemis計画の有人月着陸に向けたStarship HLS契約の納期が迫り、軌道上燃料補給の技術実証も未完了。火星より月のほうが、反復の速度でも収益の確実性でも合理的だった。

レラティビティ・スペースの歩み
2015年
設立
3Dプリントロケットの宇宙ベンチャーとして創業
2023年3月
テラン1打ち上げ失敗
初号機が2段目不具合で軌道に届かず
2025年3月
シュミット氏がCEOに就任
Google元CEOが支配株式を取得し経営権を掌握
2026年6月
NASAアイオロス契約を発表
火星大気観測ミッションのパートナーに選定
2026年後半
テランR初飛行予定
ケープカナベラルLC-16から初打ち上げを目指す
2028年
アイオロス打ち上げ目標
火星大気の全球日次観測を目指す
※ テランRの初飛行は業界筋では2027年にずれ込む可能性も指摘されている

火星を「ビジョン」から「後回し」にしたSpaceXと、火星を「第一歩」に据えたレラティビティ。NASAは意識的にSpaceX一社への依存を避け、深宇宙への打ち上げ能力を持つ第二の民間パートナーを育てようとしている。その判断は合理的だが、賭けでもある。レラティビティのテランRはまだ1回も飛んでいない。2028年の打ち上げまでに、ロケットの初飛行と成功実績の積み上げ、探査機の設計・製造、火星巡航に耐える信頼性の確保を、すべて並行で進めなければならない。

NASAは過去にもスタートアップとの提携で痛い目を見ている。月面着陸計画で契約した企業が経営破綻したケースもあれば、着陸機が横倒しで月面に到着した例もある。

シュミット氏の宇宙構想

シュミット氏がロケット会社のCEOに就いたことは、業界でも戸惑いをもって受け止められた。ソフトウェアとAIの世界で生きてきた人物が、資本集約型で物理的な失敗が即座に露呈するロケット産業に飛び込んだ。

だが伏線はあった。シュミット氏は妻のウェンディ氏とともに設立したSchmidt Sciencesを通じ、宇宙望遠鏡「ラズリ」(Lazuli)を含む天文観測システムの開発に資金を投じている。ラズリは2028年ごろの打ち上げを計画しており、当初はロケット・ラボのニュートロンでの打ち上げが想定されていた。レラティビティの取得で、打ち上げ手段を自前で確保したことになる。

さらにレラティビティは今回の発表と同時に、「惑星間科学プログラム」(Interplanetary Sciences Program)の立ち上げを明らかにした。科学ミッションのコストを下げ、頻度を上げることを標榜する。商業衛星打ち上げだけでなく、深宇宙への展開を最初から事業計画に組み込んでいる。

シュミット氏とマスク氏はAI安全性の議論で対立してきた間柄でもある。レラティビティがアイオロスを予定通り打ち上げれば、火星に到達した最初の民間ミッションになる可能性がある。マスク氏が2018年にFalcon Heavyで打ち上げたテスラ・ロードスターは、火星軌道付近を通過しはしたが科学ミッションではなくPRイベントだった。SpaceX自身は、自社のミッションとして火星に何かを送り届けたことは一度もない。

2028年まで、あと2年

この契約が成功するかどうかは、1つのシンプルな問いに帰着する。テランRは飛ぶのか。

水塔は高さ305フィート(約93m)に達し、射場の水平統合施設は構造が完成した。2段目はステニス宇宙センターに搬送されて試験中。イーオンRエンジンは2025年7月に認定を完了し、飛行モデルの受入試験が進んでいる。物理的な進捗は確かにある。

だがロケット開発は、最後の数パーセントが最も困難だ。ステージ試験、射場からの燃焼試験、そして実際の打ち上げ。Blue Originのニューグレンが初飛行にこぎ着けるまでに何年を要したかを知っている人にとって、レラティビティの挑戦は楽観を許さない。

NASAにとってアイオロスは、火星の大気データを取得するための科学ミッションだ。だが同時に、これはSpaceX一強の宇宙輸送市場に第二の選択肢を育てるための産業政策でもある。科学と産業政策が一つの契約に同居する構図は、アポロ以降のNASAが繰り返してきたパターンだが、未実証のロケットで火星を目指すのは前例がない。

成功すれば、宇宙開発の競争地図が書き換わる。失敗すれば、NASAの官民パートナーシップ路線そのものへの信頼が揺らぐ。どちらに転んでも、2028年の打ち上げ期限は動かない。火星と地球の軌道が近づくウィンドウは、26か月に一度しか開かないからだ。

参照元

NASA Announces Public-Private Partnership to Advance Mars Science

他参照

Relativity Space to privately develop Mars orbiter mission - SpaceNews

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