Mythosで揺れるホワイトハウス、副大統領が警戒表明
「正直、警戒している」。4月、米副大統領のJ・D・バンスは大手AI企業のCEOたちとの電話会議でそう切り出した。この一本の電話を境に、トランプ政権のAI戦略は決定的に向きを変えはじめている。
「正直、警戒している」。4月、米副大統領のJ・D・バンスは大手AI企業のCEOたちとの電話会議でそう切り出した。この一本の電話を境に、トランプ政権のAI戦略は決定的に向きを変えはじめている。
副大統領が「警戒している」と告げた電話会議
ウォール・ストリート・ジャーナルが5月7日に報じた内幕記事によれば、4月のある日、バンスはOpenAIのサム・アルトマン、Anthropicのダリオ・アモデイ、SpaceXのイーロン・マスク、Googleのスンダー・ピチャイ、Microsoftのサティア・ナデラといった主要AI企業のトップを電話で集めた。
席上、バンスが警戒の根拠として挙げたのが、Anthropicの最新モデル「Mythos」だった。Mythosはソフトウェアの脆弱性を自律的に発見・悪用できる能力を持ち、地方銀行、病院、水道施設といった重要インフラに対して、地方自治体では太刀打ちできない規模のサイバー攻撃を仕掛けかねない。バンスはそうした懸念を率直に伝えたという。
「これは皆で取り組むべき問題だ」。電話会議でバンスは集まった経営者たちにそう語りかけた。
これが、ホワイトハウスがAnthropicに対し、Mythosの提供先拡大を待つよう求める動きの起点になっている。バンスの警戒は単なる感想ではなく、政権内部で連鎖的な反応を引き起こした。
「規制しない」路線からの方向転換
ここで思い出しておきたいのが、トランプ政権がこれまで掲げてきたAI政策の基調だ。2025年7月の「AI行動計画(AI Action Plan)」では、中国とのAI競争に勝つために規制を最小限にとどめ、米国企業の展開を加速させる方針が明確に打ち出されていた。AI担当の特別顧問だったデビッド・サックスは、AI規制を巡る不安に対して一貫して「過剰規制こそが米国の競争力を損なう」と訴えてきた人物である。
そのトランプ政権が、いま自らの手でAIモデルへの政府監督を強める大統領令を検討している。
WSJ報道によれば、ホワイトハウスは最先端モデルに対する正式な事前審査プロセスを設ける大統領令を準備している。Anthropicに対しては、Mythosのアクセスを重要な数字インフラを管理する企業や組織に拡大しないよう要請済みだ。対応の指揮を任されたのは、国家サイバー長官のショーン・ケアンクロスである。
ケアンクロスが主導する作業は、Mythosへのアクセス制限に加え、モデルの安全性に関する措置や、民間企業が政府のAIツール利用を一方的に縛れないようにする取り決めまで踏み込む可能性がある。
つまり、これまでAI企業が自ら定めてきた利用条件を、政府が逆に縛り返す方向の議論が動いている。これはAI行動計画の精神とは異なる風景だ。
政権内に走る亀裂
転換の動きは政権内部に深い亀裂を生んだ。
WSJはホワイトハウスや議会のスタッフの一部が、今回の対応について「AI政策の後退であり、過剰反応だ」と懸念していると伝えている。ケアンクロスがMythosへのアクセスを絞ろうとし、政権がそれに連動する形で動いていることに対し、もっと自分たちの意見を反映させたい政権関係者からは強い不満が出ているという。
象徴的なのが、AI安全規制に懐疑的な立場を取り続けてきたサックスの反応だ。彼は自身が共同ホストを務めるポッドキャスト「All-In」で、最近こう語っている。
「人々はこれを存亡の危機のように扱っている。私はそうは思わない。皆が本来やるべきことをやっている限り、AIツールをデジタル・セキュリティ強化に使えばいい話だ」
Mythosを「FDAの新薬承認のように事前審査すべきだ」とフォックス・ビジネスで語ったのは、国家経済会議委員長のケビン・ハセットだ。一方のサックス陣営からすれば、その比喩こそ規制路線への転換を象徴するもので、トランプ大統領が掲げる成長重視のAI政策を歪めかねないものに映る。
「FDA方式をAIに持ち込めば、トランプ大統領の現行の成長促進的なAI政策が覆される」。AI規制反対を掲げる非営利団体「Abundance Institute」のAI政策責任者ニール・チルソンは、ハセット発言にそう反論した。
火消しに動いた首席補佐官
事態の沈静化に動いたのが、ホワイトハウス首席補佐官のスージー・ワイルズだった。
ワイルズは水曜日にX(旧Twitter)に投稿し、官僚機構ではなくイノベーターを後押しする立場を強調した。
我々は勝者と敗者を選ぶような仕事はしていない。ホワイトハウスは官僚機構ではなく米国の偉大な技術革新者に力を与えるアメリカ第一の取り組みを今後も主導していく。常識の問題だ。
ハセット発言とほぼ同じ日に出されたこの投稿は、政権内が1枚岩でないことを浮き彫りにした。ハセットが事前審査を「FDAのように」と語った数時間後、首席補佐官が「規制ではなくイノベーション」と打ち消しに走る。AI企業の経営者たちから見れば、誰の声が政権の最終判断に最も近いのかが見えにくい状態が続いている。
ホワイトハウス当局者はWSJに対し、「適正な監督と技術革新のバランスを取っている」と述べ、大統領令に関する議論はトランプ大統領が発表するまでは「すべて推測にすぎない」と釘を差した。
なぜAnthropicだけが標的になるのか
ここで一歩引いて考えたい疑問がある。なぜAnthropicだけがここまで政府の介入対象となっているのか、という点だ。
OpenAIも先日、Mythosと同等の能力を持つとされるサイバー特化モデル「GPT-5.5-Cyber」のプレビューに先立って政権と協議した、と広報担当者は明らかにしている。OpenAIもアクセスを制限している。だが現時点で、政府がOpenAIに対しMythosと同様の拡大停止要請を出したという報道はない。
背景には、Anthropicが米国防総省と続けてきた長い対立がある。Anthropicは自社AIの完全自律型兵器への利用と国内大規模監視への利用を拒否し、その結果として国防総省から「サプライチェーンリスク」指定を受け、現在も2つの裁判所で争っている。一方で同社は、AI規制を求める超党派の非営利団体「Americans for Responsible Innovation」が共同で運営する政治団体に資金を投入してきた経緯もあり、「AI企業の中で最も規制積極派」として目立つ立場にある。
「これは正しい方向への有望な一歩であり、連邦政府が自らの役割をどう考えるかにおける根本的な転換だ」。Americans for Responsible Innovation代表のブラッド・カーソンはWSJにそう語っている。彼の組織は、AIガードレールの強化を支持する候補者を後押しする政治団体も運営している。
裏を返せば、Anthropicの姿勢が政権内の規制積極派を刺激し、Mythosの登場が引き金になった、という見方もできる。「業界全体の方針転換」と見るのは早いが、特定企業の特定モデルへの対応が、結果として他社にも影響する制度設計へと滑り出している。その途中段階に今ある、と整理した方が実態に近い。
米中首脳会談を控えた微妙なタイミング
タイミングも見逃せない。来週、トランプ大統領と中国の習近平国家主席はAIがもたらすリスクについて公式の対話を始めるかどうかを話し合うために会う予定だ。米中両政府は、AIの軍事利用や悪用について、初めて本格的な議論の場を持とうとしている。
国内で大手AI企業に手綱をかける動きと、中国とのAIリスク対話を始める動き。この2つが同じ週に重なるのは偶然ではない。AIを「成長のエンジン」と位置付けてきたトランプ政権が、初めてその能力を国家安全保障上の脅威として正面から扱おうとしている。
財務長官のスコット・ベッセントもバンスやケアンクロスとともに4月の電話会議に加わっていた。ベッセントは大手銀行の経営陣に対し、Mythosが脆弱性発見能力に優れすぎているために一般公開されていない、と警告したと報じられている。米国を代表する金融機関のサイバー防衛責任者たちが、AIモデルの一般公開可否を巡って財務長官から直接ブリーフィングを受ける。こうした風景自体、半年前には想像しにくかったものだ。
それでも残る「これは本当に転換か」という問い
結論を急がない方がいい。
ハセットが「FDAのように」と語る一方、ワイルズが「規制ではない」と打ち消す。サックス陣営はAI規制への転換を強く牽制し続けている。大統領令の中身は決まっておらず、トランプ大統領自身がどこに着地させるかも見えない。バンスが懸念を表明したことが転換の起点であっても、その懸念が制度として固定されるとは限らない。
ただ、ひとつだけ確かなのは、4月の電話会議の前と後では、AI企業のCEOたちが政府と話す内容が変わった、ということだ。「いかに早く展開するか」から「どう展開するか」へ。Mythosという1つのモデルが、政権内のAI政策の温度を一気に押し上げた。
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