トランプ政権、AIモデルの事前審査を本気で検討し始めた

トランプ政権、AIモデルの事前審査を本気で検討し始めた

「規制しない」と言ってきたトランプ政権が、AIモデルの公開前に政府が中身を点検する仕組みを本気で協議している。きっかけはアンソロピック(Anthropic)の「Claude Mythos」。シリコンバレーと政権の関係が、見えない場所で書き換わり始めている。


「規制しない大統領」が方針を曲げる瞬間

トランプ政権は、AIモデルが公開される前に政府がその中身を審査する仕組みを検討している。米政府高官と協議に詳しい関係者がNYTに語った内容は、これまでの規制最小路線と真正面からぶつかる。

検討されているのは、テック企業幹部と政府関係者で構成するAIワーキンググループを設置する大統領令だ。連邦政府による正式なAIモデル審査プロセスもこの枠組みで議論される見込みで、先週はホワイトハウスがAnthropic、Google、OpenAIの幹部にこの構想を説明した。

参考にされているのは英国のモデルだという。複数の政府機関がAIモデルの安全基準への適合を確認する英国型の仕組みは、開発スピードを大きく落とさず最低限の歯止めをかける現実解として、政権内で支持を広げている。

トランプ氏は2025年の就任直後、バイデン政権が課したAI開発者への安全評価・報告義務を撤回した。今年7月のイベントでは、AIを「生まれたばかりの美しい赤ちゃん」と表現し、政治や愚かなルールでこの成長を止めることはできない、と強調していた。それから10か月足らずで、政権は「成長を止める」側に傾きつつある。

「テクノロジーの進化はあまりに速い。だが過剰に規制したいわけでもない」。トランプ政権でAI政策の上級顧問を務めたディーン・ボール(Dean Ball)はNYTにこう語る。微妙なバランスが求められる、というのが現役・元職員に共通する感覚だ。
トランプ政権のAI政策、就任から事前審査検討まで
規制撤回 2025年1月 バイデン政権のAI安全評価義務を撤廃 トランプ大統領が就任直後、AI開発者にモデルの安全評価と政府への報告を求めるバイデン政権の規則を撤回した。
無介入路線 2025年7月 「美しい赤ちゃん」発言で成長最優先を明言 トランプはAIを「生まれたばかりの美しい赤ちゃん」と表現し、「政治や愚かなルールでこの成長を止めることはできない」と強調した。
対立激化 2026年3月 ペンタゴンがAnthropic製品の使用を打ち切り 2億ドルの契約交渉が決裂し、政府全体でのAnthropic製品の使用が停止された。Anthropicは連邦裁判所に提訴し、月末には仮差し止め命令が下りた。
体制刷新 2026年3月 AI皇帝のサックスが退任、ワイルズ・ベッセント体制へ 規制緩和を主導したデービッド・サックスがAI政策担当を離れ、首席補佐官スージー・ワイルズと財務長官スコット・ベッセントがAI政策に深く関与する体制となった。
引き金 2026年4月7日 AnthropicがClaude Mythosを発表 ゼロデイ脆弱性を数千件発見する性能を持つMythosは、Anthropic自身が一般公開を見送り、12社の中核パートナーに防御目的で限定提供される異例の扱いとなった。
関係修復 2026年4月 ワイルズ・ベッセントがAnthropic CEOと会談 ワイルズとベッセントがAnthropic CEOのダリオ・アモデイとホワイトハウスで会談し、双方が「建設的だった」と評価。Anthropic技術の政府利用復活が議題に上った。
方針転換 2026年5月 AIモデルの公開前審査を制度化する大統領令を協議 トランプ政権がAIモデルのリリース前に政府が中身を審査する大統領令の検討に入ったことが報じられた。テック幹部と政府で構成するAIワーキンググループ設置が議論されている。
※ 各時点の出来事は当時の公式発表・連邦裁判所記録・The New York Times報道に基づく。日付は米国時間。

ホワイトハウス当局者はNYTに対し、大統領令の議論はあくまで「憶測の段階」であり、政策発表があるとすれば大統領自身から行うとコメントしている。

なぜ今、Anthropicの「Mythos」が引き金になったのか

方針転換の起点として政権関係者がそろって名前を挙げるのが、Claude Mythosだ。Anthropicが2026年4月7日に発表したこのモデルは、ソフトウェアの脆弱性を発見・悪用する能力で「最も熟練した一握りの専門家を除く全ての人」を上回る水準に到達したと同社自身が説明する。

Mythosはテスト期間中、修正パッチが存在しないゼロデイ脆弱性を含む数千件の重大な欠陥を検出した。Anthropicはこれを「サイバーセキュリティの清算」を引き起こしうるレベルと位置づけ、一般公開を見送って12社の中核パートナーに防御目的で限定提供する「Project Glasswing(プロジェクト・グラスウィング)」を立ち上げた。

問題は、この能力が裏返せば前例のない攻撃ツールになりうる点にある。ホワイトハウスは、AIによる大規模サイバー攻撃が起きた場合の政治的余波を恐れている、と政権内部の人々はNYTに語る。同時に、Mythosのようなモデルが国防総省や情報機関にとって有用かどうかも評価しているという。

NSA(米国家安全保障局)は、Anthropicと政権のあいだに対立がありながら、Mythosを米政府ソフトウェアの脆弱性評価にすでに使用していると、関係者がNYTに証言している。

「Mythosのようなモデルが出てくる前に政府がアクセスできる審査システムが必要だ」。一部の当局者がNYTに語ったこの発想は、バイデン政権下で設立されたAI標準・イノベーション・センター(CAISI、自主提供モデルの審査機関)を再活用する案にもつながる。トランプ政権下で同機関は事実上塩漬けにされていたが、ここに来て役割が見直されつつある。

ペンタゴンとAnthropicの泥仕合

審査体制の議論を複雑にしているのが、ペンタゴンとAnthropicのあいだで続く対立だ。両者は今年、2億ドル(約314億円)の契約と「軍事用途でAIをどう使うか」を巡って衝突し、ペンタゴンは3月に政府全体でのAnthropic製品使用を打ち切った。Anthropicはこの判断を不服として連邦裁判所に提訴している。

3月下旬、連邦判事はサプライチェーンリスク指定と使用禁止に対する仮差し止め命令を出した。政府は控訴方針を示している。一方で、Anthropic製AIは現在もペンタゴンが運用する「メイブン(Maven)」システムに組み込まれており、イラン戦争での情報分析や空爆ターゲット選定に使われていると複数の米当局者が証言している。

この対立で困窮しているのは、Anthropic技術を業務に組み込んできた政府機関の側だ。供給停止と訴訟の長期化で、現場の運用は宙吊りになっている。

3月にはAI政策を主導してきたデービッド・サックス(David Sacks)ホワイトハウスのAI政策担当が職を離れ、首席補佐官のスージー・ワイルズ(Susie Wiles)と財務長官のスコット・ベッセント(Scott Bessent)がAI政策により深く関与する体制に切り替わった。先月にはこの2人がAnthropic CEOのダリオ・アモデイ(Dario Amodei)と会談し、双方が「建設的だった」と評価している。

AIモデル事前審査を巡る主要プレーヤーと立場
関係者・機関 役職・位置づけ AI政策上の立ち位置
スージー・
ワイルズ
ホワイトハウス
首席補佐官
AI政策の
主導役に台頭
スコット・
ベッセント
財務長官 AI政策に
深く関与
デービッド・
サックス
前ホワイトハウス
AI政策担当
3月に退任、
規制緩和を主導
J・D・
ヴァンス
副大統領 過剰規制への
警告を表明
ダリオ・
アモデイ
Anthropic
CEO
政府との
関係修復を協議
NSA 米国家
安全保障局
Mythosを政府
脆弱性評価に活用
CAISI AI標準・
イノベーション・
センター
審査機関として
再活用案が浮上
※ 各人物の役職と関与状況は2026年5月時点。CAISIはバイデン政権下で設立され、トランプ政権下では事実上塩漬けにされていたが、事前審査体制の議論で役割が再検討されている。
Maven、Mythos、訴訟、そして大統領令草案。これらが重なった場所で、政権は「AIを止めない」という公約と「サイバー大惨事を起こさない」という現実とのあいだに、新しい線を引こうとしている。

日本の読者にとって何が変わるのか

この動きは米国だけの内輪の話ではない。Anthropicは、現在約50の米企業・組織に限定公開しているMythosについて、日本を含む海外への提供拡大を計画していることが明らかになっている。米政権がこの拡大に反対している、と日経が報じた。

仮に米政府が事前審査を制度化すれば、日本企業がフロンティアAIにアクセスする経路にも影響が及ぶ。米国でリリースが許可されたモデルだけが海外に渡る、という障壁が事実上生まれる可能性がある。日本の金融業界がすでにMythos級の脅威に身構え始めている事実と合わせると、AIガバナンスは日本にとっても他人事ではない。

副大統領のJ・D・ヴァンス(J.D. Vance)は2025年、パリでの国際AI会合で「過剰な規制はAI産業そのものを萎ませる」と警告した。今のホワイトハウスが議論している方向は、その演説と矛盾する側面を抱える。それでもなお政権が舵を切ろうとしているのは、Mythosの登場が「規制しないコスト」を可視化したからだ。

「AIの未来は、安全性に気を揉むことでは勝ち取れない。建設で勝ち取るものだ」。ボールはNYTにそう述べた。だが、建設の前に最低限のチェックを置くのか、置かないのか。シリコンバレーと政権がいま向き合っているのは、その一点だ。

技術が政治の前提を書き換える瞬間は、思っていたよりずっと早く来た。


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