Claudeが身分証を求める日。Anthropicが書き換えた規約の中身

Claudeが身分証を求める日。Anthropicが書き換えた規約の中身

AIチャットボットを使うために、パスポートを差し出す。プライバシーポリシーの改定という静かな手続きのなかで、その現実はもう動き始めている。


7月8日から変わること

Anthropicは6月8日、Claudeの個人向けプライバシーポリシーを改定した。発効は7月8日。新設された「Verification Data(確認データ)」の項目が、今回の核心にあたる。

「特定の状況において、年齢または本人確認を求める場合がある」。ポリシーにはそう記され、収集するデータが列挙されている。政府発行の身分証明書の画像とそこに印字された情報(ID番号、生年月日)、写真または動画、そして顔のジオメトリテンプレート。最後の項目についてはAnthropic自身が「一部の法域では生体データとみなされうる」と注記している。

対象はClaude Free、Pro、Maxの個人ユーザー。Team、Enterprise、API経由のビジネス顧客には適用されない。

すでに動いていた仕組み

この仕組みは唐突に現れたわけではない。すでに報じた通り、Anthropicは4月14日からサンフランシスコのKYC企業Persona Identitiesと連携し、一部のユーザーに本人確認を求めていた。パスポートか運転免許証の実物をカメラで撮影し、次にセルフィーを撮る。Personaのシステムが顔の特徴点間の距離を数値化してテンプレートを生成し、身分証の顔写真と突き合わせる。合否の結果だけがAnthropicに返り、ID画像とセルフィーはPersonaのサーバーに残る。

4月の段階ではヘルプページに記載があるだけで、プライバシーポリシーには反映されていなかった。今回の改定は、この既存の運用を正式に規約へ組み込んだものだ。

なお年齢確認だけが目的の場合、別のベンダーであるYotiが使われる。Yotiは18歳以上か否かの判定結果のみを返し、ID画像も生体データもAnthropicには渡さない。

「一部のユーザー」とは誰か

Anthropicのタリク・シヒパー(Thariq Shihipar)氏は、本人確認ポリシーの更新について「6月17日にアピール(異議申し立て)プロセスの改善として行ったもので、FableやMythosのロールアウトとは無関係だ」と投稿した。広報担当のマイケル・アキマン(Michael Aciman)氏もこの投稿を報道機関に共有している。

Anthropicの説明を整理すると、こうなる。アカウントが不正行為の疑いでフラグを立てられたが即座にBANはされていないユーザーに、ID確認を通じてアカウントを回復する手段を用意した。対象は「ごく少数」。

ただしClaudeの月間ユーザーは数千万規模と推定されており、「ごく少数」が何人を指すのかは明かされていない。どんな操作が確認プロンプトを発火させるのか、拒否すればどうなるのか。トリガー条件もポリシーには書かれていない。

削除はいつか、誰が決めるのか

Anthropicは、PersonaがユーザーのID画像を保持する期間を自社が決定するとしている。具体的な期間は開示されていない。

Robloxとの対比が分かりやすい。同じくPersonaを使うRobloxは、顔画像を「処理完了後に即時削除する」と公表している。一方でPersona自身のプライバシーポリシーには、顧客の指示に基づいてID・セルフィーデータを最大3年間保持できる条項がある。Anthropicがどちらに近い運用を選んでいるのかは分からない。

Personaを使う各社のデータ保持方針
サービスデータ保持期間
Roblox処理完了後に即時削除
Claude(Anthropic)非開示
Persona自身の上限顧客指示に基づき最大3年
※ Personaはデータ保持期間を顧客(Anthropic等)が設定する方式。デフォルトは処理完了後の即時削除

Personaのサーバーにデータがある限り、米国政府はそのデータを法的手続きで要求できる。

Personaという名前が呼ぶ疑問

Persona Identitiesは2018年、Dropbox出身のチャールズ・イェ(Charles Yeh)氏とSquare出身のリック・ソング(Rick Song)氏が創業したKYCプラットフォームだ。シリーズCとDの出資を主導したのは、ピーター・ティール(Peter Thiel)氏が共同創設したFounders Fund。ティール氏はAnthropicにも出資している。

ティール氏は監視技術企業Palantirの共同創業者でもある。PalantirはFBI、CIA、米移民・関税執行局(ICE)に顔認識とデータ分析のサービスを提供してきた。Persona自体がPalantirや連邦機関と事業関係にあるかについて、PersonaのCOOクリスティ・キム(Christie Kim)氏は「根拠のない憶測だ」と否定し、CEOのソング氏も「ICEや政府の監視目的に使われることを望まない」と明言している。Founders Fundの出資先にはAirbnbやSpotifyも含まれており、出資関係だけでPersonaをPalantirと同一視するのは短絡だ。

それでもユーザーの不安が消えない背景がある。今年2月、セキュリティ研究者がPersonaのフロントエンドコードを米政府認可サーバー上で公開状態のまま発見した。2,456件のファイルには、テロリズムやスパイ活動の監視リストとの照合、14カテゴリの有害メディアスクリーニング、不審行為報告の直接提出機能など、269種類の検証チェックが実装されていたという。

Discordは今年1月、英国でPersonaの年齢確認をテストした。ユーザーの激しい反発を受けて2月に撤回し、CTOが「Personaはオンデバイス処理の基準を満たさなかった」と説明している。その後もAnthropicはPersonaを採用し続けている。

輸出規制と本人確認の接点

Anthropicは「Fable/Mythosとは無関係」と繰り返す。時系列だけを見れば、本人確認の運用開始(4月14日)は輸出規制命令(6月12日)より2か月早い。

だが6月8日にポリシーを改定し7月8日に発効させるスケジュールは、Fable 5とMythos 5の輸出規制問題のさなかにある。商務省の命令は「外国籍の全個人」からのアクセス遮断を求めたが、Anthropicにはユーザーの国籍を判別する手段がなかった。両モデルを全世界で停止する以外に選択肢がなかったと、同社は説明している。

身分証確認の仕組みがあれば話は変わる。米国パスポートや一部の州が発行するエンハンスド運転免許証(国籍が印字された強化型免許)で市民権を確認できれば、規制を乗り越えてFable 5を米国市民に再開放する道が理論上は開ける。「無関係」という言葉と、ポリシー発効の日付が重なる事実は、読者自身の目で並べてみてほしい。

トランプ大統領はG7サミット(フランス・エヴィアン=レ=バン)でアモデイCEOと会食した後のAxiosインタビューで、Anthropicを「もはや安全保障上の脅威とは見ていない」と発言した。ただし商務省の輸出規制命令も、国防総省のサプライチェーンリスク指定も、正式には撤回されていない。
Claude本人確認とFable輸出規制の時系列
4月14日
Persona連携でID確認を開始
一部ユーザーに本人確認プロンプトを表示。ポリシー未反映
6月8日
プライバシーポリシー改定を公開
「Verification Data」項目を新設。顔ジオメトリを明記
6月12日
商務省がFable 5/Mythos 5の輸出規制命令
外国籍全個人のアクセス遮断を要求。全世界で両モデル停止
6月17日
ID確認ポリシーを更新(アピールプロセス)
Anthropicは「Fable/Mythosとは無関係」と説明
7月8日
改定プライバシーポリシー発効
Free/Pro/Maxの全個人ユーザーに適用開始
※ 日付はすべて2026年。Anthropicは本人確認とFable輸出規制の関連を否定している

規約が語らないこと

イリノイ州の生体情報プライバシー法(BIPA)は、顔のジオメトリデータを明確に生体情報と規定し、収集前の書面による同意と保持期間の開示を義務づけている。違反1件あたり1,000ドル(過失)から5,000ドル(故意・重過失)の損害賠償を認める私的訴権も備える。Anthropicのポリシーには保持期間の記載がない。

GDPRの下では顔のジオメトリは特別カテゴリーデータに該当し、データ保護影響評価が必要になる。この評価を完了したかどうか、Anthropicは公表していない。

フロンティアAI企業で本人確認を個人ユーザーに導入したのは、現時点でAnthropicだけだ。OpenAIのChatGPTもGoogleのGeminiも、通常の利用にID確認は求めていない。

Anthropicは「安全のため」と説明する。しかしポリシーが語らない部分(何がトリガーになるのか、拒否した場合どうなるのか、データはいつ消えるのか)にこそ、ユーザーが最も知りたいことが集中している。「ごく少数」が明日の自分にならないとは、規約のどこにも書かれていない。

参照元:Anthropic Privacy Policy(2026年7月8日発効版)

他参照:Identity verification on Claude(Anthropicサポートページ)

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