ナデラ証言、マスクから一度の連絡もなし

ナデラ証言、マスクから一度の連絡もなし

マスクとナデラは互いの携帯番号を知っている。それでも7年間、マスクからマイクロソフトへの直接の懸念連絡は一度もなかった。法廷で明かされたこの事実は、マスクが掲げる「慈善信託の侵害」という訴えの根拠を静かに揺さぶる。


7年の沈黙が法廷で響いた

サティア・ナデラ(Satya Nadella)が証言台に立ったのは、現地時間5月11日、カリフォルニア州オークランドの連邦裁判所だ。マスク対アルトマンの裁判は3週目に入り、マイクロソフトのCEO自らが約2時間半にわたって尋問を受けた。

紺のスーツに青のネクタイ。質問は2019年に始まったマイクロソフトとOpenAIの提携、2023年の経営陣交代劇、そしてマイクロソフトが営利化に果たした役割へと及んだ。証言時間は約 2時間半 に及んだ。

その中で、ひとつの事実が際立った。マスクからナデラへの 直接連絡 は7年間で一度もなかった。マイクロソフト側の弁護士ジェイ・ジュラタ(Jay Jurata)は、2019年の提携発表、2020年のGPT-3独占ライセンス、2023年の100億ドル投資という3つの節目を順に挙げ、それぞれの時点でイーロン・マスク(Elon Musk)から異議の連絡があったかをナデラに尋ねた。答えはすべて「ない」だった。

ナデラはこう付け加えた。マスクと自分は互いの電話番号を知っている、と。

3つの節目におけるマスクからの異議照会
時期 マイクロソフトの動き マスクからの
異議照会
2019年 OpenAIとの
戦略的提携を発表
なし
2020年 GPT-3の
独占ライセンスを取得
なし
2023年 100億ドルの
追加投資を実施
なし
※ マスク対アルトマン裁判におけるサティア・ナデラの証言(2026年5月11日、カリフォルニア州オークランド連邦裁判所)に基づく。マイクロソフト側の弁護士ジェイ・ジュラタが3つの節目を順に挙げて尋問し、各時点でイーロン・マスクからナデラへの異議照会があったかを確認。回答はいずれも「なし」。両者は互いの携帯番号を知る関係であった。

「アマチュアの街」と評された取締役会

ナデラの証言で最も鋭く響いた一言は、2023年11月のアルトマン解任劇に向けられたものだった。

サム・アルトマン(Sam Altman)が突然解任され、数日で復帰した、あの混乱の数日間。ナデラは取締役会から「率直さに欠ける」という理由しか聞かされず、追加の説明を求めたものの何も出てこなかったと語った。

そして言葉は静かに、しかし辛辣に着地した。

It was sort of amateur city, as far as I'm concerned.(私から見れば、アマチュアの街のようなものだった)

これは取締役会が出資先であるマイクロソフトのCEOに対し、解任の根拠を最後まで提示できなかった、という告発に近い。ナデラは「嫉妬や意思疎通の不足が、アルトマン排除の動機としてあった可能性はある」とも述べ、組織の 機能不全 を婉曲に示した。

ただし、自分が取締役会にアルトマンの復帰を要求したことはない、とも証言している。マイクロソフトはあの瞬間、表舞台で動かなかった。少なくとも本人の語る範囲では。


「IBMにはなりたくない」というメール

ギークワイア(GeekWire)の取材によれば、ナデラの内部メールが法廷に提出された。2022年4月、マイクロソフトが100億ドルの追加投資を準備していた時期に書かれたものだ。

そこにあったのは、歴史への警戒だった。マイクロソフトがOpenAIにとっての「次のIBM」にはなりたくない――かつて自社のDOSをIBMに供給し、結果としてマイクロソフトの方が巨大化していった構図を、ナデラは逆の立場で再演されることを恐れていた。

ナデラは投資判断を 「片道扉」 と表現した。自社向けとOpenAI向けの2台のスーパーコンピュータを同時には建てられない、だから自社のAI部門から計算資源を引き剥がしてOpenAIに振り向けるしかなかった、と。

我々はコアIPの開発をOpenAIに大幅に外注し、巨大な依存関係を引き受けていた。

この一言は、提携の本質的な不均衡を示している。マイクロソフトはAIの最前線そのものを、外部の組織に預けた。クラウドの巨人にとって、それは安全な選択ではなかったはずだ。


数字の重さと、それでも残る不確かさ

法廷では金額が繰り返し登場した。マイクロソフトのOpenAIへの投資総額は130億ドル超(約2兆400億円)。2019年に10億ドル、2021年に20億ドル、2023年に100億ドル。

マイクロソフトのOpenAI投資額と社内リターン予測
※ 投資額はマスク対アルトマン裁判におけるサティア・ナデラの証言およびマイクロソフト公式発表に基づく。リターン予測は2023年1月にマイクロソフトのブラッド・スミス社長から取締役会に送られた内部メモの内容(裁判で開示)。実際のリターンを保証するものではない。

直近の決算開示では、マイクロソフトはOpenAIの営利部門の約27%を保有し、その評価は1,350億ドル(約21兆2,000億円)に達する。OpenAI全体の企業価値は8,500億ドル(約13兆3,500億円)規模にまで膨らんでいる。

マスク側弁護士スティーブン・モロ(Steven Molo)は反対尋問で、2023年1月にマイクロソフトのブラッド・スミス(Brad Smith)社長から取締役会に送られたメモを示した。累積130億ドルの投資に対し、 920億ドル (約14兆4,400億円)のリターンが見込まれていたという内部試算だ。脚注には2025年から年20%増の係数が記されており、4年でリターンが倍増する可能性が示唆されていた。

ナデラはこの数字を否定しなかった。ただし、こうも付け加えた。リターンは ゼロ にもなり得た、と。AIへの賭けが結果として大当たりしたという事実と、賭けの時点ではゼロだった成功確率は、別々に評価されるべきだということだろう。

そしてもう一つ、反対尋問で出てきた事実がある。ナデラは2026年3月以前、OpenAIの非営利部門に常勤従業員が在籍していたかを知らなかった。助成金、研究、オープンソース化された技術も、具体的に知らなかった。「世界最大級の非営利」と提携の意義を語った直後の質問だっただけに、この答えは法廷に微妙な空気を残した。


「IBMにもOpenAIにもなりたくない」

モロは別の場面で、ナデラが2022年に社内幹部宛に送ったメールも提示した。そこにはこう書かれていた。

I don't want to be IBM and OpenAI to be Microsoft.(マイクロソフトをIBMにはしたくないし、OpenAIをマイクロソフトにもしたくない)

1980年、IBMはマイクロソフトのDOSを自社PCに採用する非独占契約を結んだ。マイクロソフトはその契約を足がかりに他のPCメーカーへもライセンスを広げ、結果としてOSの覇権を握ることになる。IBMはPC市場でのリーダーシップを失っていった。

歴史を踏まえれば、ナデラの恐れは具体的だ。OpenAIに技術を依存しきれば、マイクロソフトが「次のIBM」になる可能性がある。だから自社内でも能力を積み上げ続けなければならない。 提携と独立 を同時に進める道を、ナデラは選んだ。

モロは続けて「結局マイクロソフトはIBMよりはるかに大きく重要な会社になりましたね」と確認し、ナデラは「その通りだ」と答えた。月曜の市場終値時点で、マイクロソフトの時価総額は3兆ドル、IBMは2,100億ドルだ。


取締役候補の生々しいやりとり

モロは、ナデラと最高技術責任者ケビン・スコット(Kevin Scott)が交わしたテキストメッセージのスクリーンショットも提出した。アルトマン復帰後、OpenAIの新取締役会に誰を入れるか、という議論の記録だ。

候補として名前が挙がったのは、コインベース(Coinbase)COOのエミリー・チョイ、元イベントブライト(Eventbrite)CEOのジュリア・ハーツ、元ゲイツ財団CEOのスーザン・デスモンド・ヘルマン、元クライナー・パーキンスのビング・ゴードン、元ゼロックス(Xerox)CEOのアーシュラ・バーンズ、元LinkedIn CEOのジェフ・ワイナー、そして元アルファベット(Alphabet)取締役のダイアン・グリーン。

ナデラはこのうち2人に明確に 「ノー」 を返した。グーグル・クラウドの元CEOだったダイアン・グリーンと、Googleと関係の深い投資家ビング・ゴードン。理由はシンプルだ。マイクロソフトと直接競合するGoogleとの関係が、OpenAIの意思決定に影響しかねない、というのがナデラの立場だった。

ナデラはこの議論を主導したわけではなく、アルトマンらOpenAI側が意見を求めてきたのだ、とも証言した。取締役会は自分の意見を無視することもできたはずだ、と。実際、彼が推した元ゲイツ財団のスーザン・デスモンド・ヘルマンは後に取締役へ就任している。

それでも、出資先の取締役構成にCEOが具体的な拒否権を行使していたという記録は、慈善目的をうたう組織の独立性を問う材料として、法廷の空気に重みを加えた。


サツケバー、共同創業者の証言

ナデラの証言終了後、OpenAIの共同創業者で長年AI研究の中核を担ってきたイリヤ・サツケバー(Ilya Sutskever)が証言台に立った。青いボタンダウンシャツに身を包み、Googleからの引き止めの内幕からアルトマン解任に至った経緯までを語った。

サツケバーは元々グーグルに在籍していた。OpenAIに移った際、グーグルは年最大 600万ドル (約9億4,200万円)の報酬で引き止めようとしたという。それでも彼は移籍を選んだ。OpenAIへの「強い当事者意識」があったからだ、と本人は語った。

そして2023年、アルトマン解任に踏み切った理由をこう述べた。

I simply cared for it, and I didn't want it to be destroyed.(私はOpenAIを大切に思っていた。壊れてほしくなかった)

慈善信託の侵害を訴えるマスク側にとって、共同創業者本人の「壊れてほしくなかった」という言葉は、組織の理念崩壊を裏付ける証言として位置付けられた。

OpenAI取締役会議長のブレット・テイラー(Bret Taylor)も短時間ながら証言台に立ち、組織構造とアルトマン解任時の「危機的」状況を語った。彼の証言は火曜午前8時半に再開される予定だ。


連絡しなかった7年が問うもの

裁判は5月21日まで続く見込みで、判事はオバマ大統領が指名したイヴォンヌ・ゴンザレス・ロジャース(Yvonne Gonzalez Rogers)判事。陪審員の評決は5月18日の週と見込まれている。

マスクは2024年にOpenAI、アルトマン、グレッグ・ブロックマン(Greg Brockman)を提訴し、慈善信託の侵害と、マイクロソフトのその幇助を主張している。求めるのは非営利構造への回帰と、最大1,500億ドル(約23兆5,500億円)の損害賠償だ。

しかし、ナデラの「マスクから一度も連絡はなかった」という証言は、訴訟の前提そのものに小さくない疑問を投げかける。互いの携帯番号を知る関係でありながら、7年間にわたって直接の異議申し立てがなかった事実は、訴訟が原則の防衛なのか、それとも遅れた個人的な不満なのかという判断材料になりうる。

マスクの側にも、もちろん事情はあるだろう。組織の外から見えなかった何かが、後に裁判記録によって明らかになったのかもしれない。だが「電話一本」というレベルのアクションすら、長らく取られていなかった。この空白を、陪審員がどう受け止めるかは分からない。

火曜にはアルトマン本人が証言台に立つ予定だ。創業者同士が、互いの沈黙の7年間について何を語るのか。法廷の続きは、その答えを少しずつ運んでくる。


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