OpenAI社長の個人日記が法廷で読み上げられている
カリフォルニア州オークランドの連邦裁判所で、OpenAI社長グレッグ・ブロックマン(Greg Brockman)の個人日記が一行ずつ読み上げられている。陪審員に向けて、世界中の見知らぬ人に向けて、十数年にわたる思索の私的な記録が、いま証拠として晒されている。
日記がスター証人になった
ウォール・ストリート・ジャーナルのベン・コーエン記者が報じたところによれば、今週の二日間にわたって、OpenAIの共同創設者で社長のブロックマンの日記の抜粋が、シリコンバレーを揺るがす裁判の証拠として法廷に提出された。
イーロン・マスク(Elon Musk)がOpenAIとサム・アルトマン(Sam Altman)、ブロックマンを相手取って起こした訴訟は、過去十年にわたってAIを築いてきた人々の生身の頭の中を覗かせる証拠の山を掘り起こした。荒削りなメール、生々しいテキストメッセージ、OpenAIの未来を決めた会議のメモ。そして、深く人間的な一冊の日記。
通常の社会では、他人の日記を漁ることはプライバシーの暴力的な侵害として扱われる。法廷では、それを「ディスカバリ」(証拠開示手続き)と呼ぶ。
ディスカバリは普段から驚くような書類を引きずり出すが、テック企業の経営者が日記をつけているという事実そのものが、関係者にとって衝撃だった。マスクの弁護士団がその存在を明らかにしたのは2026年1月。彼らはブロックマンの日記を数百ページぶん入手し、特定の箇所について本人を厳しく問い詰めたと述べた。OpenAI側は「文脈から切り離して都合よく抜き出された」と主張したが、判事は判決のなかでその抜粋を引用し、裁判への道を開いた。
三つの日付、三つの心の動き
法廷で読み上げられた日記の核心は、2017年に集中している。
2017年8月21日:本当に自分は何がしたいのか。エンジニアになりたい。でも今こそ責任者になって挑戦に立ち向かう絶好の機会だ。これは、エロンから抜け出す唯一のチャンス。彼は自分が選びたい「栄光のリーダー」なのか。財務的に、自分を10億ドルまで連れていくのは何だろう。
「財務的に、自分を10億ドルまで連れていくのは何だろう」。この一行が、マスク側の物語を組み立てる骨格になった。慈善のためにOpenAIを始めたはずの人物が、私的なノートで10億ドルへの道筋を考えていた。検察的な読み方では、これは決定的な動機だ。
九月には、思考はもっと混沌としていく。
2017年9月12日:もはや金の戦いではない。どんな会社を作りたいかの戦いだ。彼はCEOとして全てを掌握しようとしている。自分も戦う気持ちが芽生えている。本当にやりたいことは何か。AGIを作ること。それは確かに自分のものだ。
そして十一月、マスクとの決定的な会合の前後で書かれた日記が、後に「Exhibit 161」(証拠161号)として法廷に提出されることになる。
2017年11月6日:自分たちが非営利にコミットしているとは言えない。三ヶ月後にB-corpに移行するなら、それは嘘になる。本音は、彼に出ていってほしい。彼を抜きで非営利を盗み、B-corpに転換するのは間違いだろう。それは道徳的に破綻している。彼は馬鹿ではない。
マスクの訴状にある「慈善団体を盗んだ」という表現は、当のブロックマン本人が八年前に日記で使っていた言葉と、奇妙なほど似ている。
| 日付 | 日記の核心フレーズ | 裁判での意味 |
|---|---|---|
|
2017年 8月21日 動機の芽生え |
財務的に、自分を10億ドルまで連れていくのは何だろう | 慈善のために始めた人物が、私的なノートで10億ドルへの道筋を考えていた事実 |
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2017年 9月12日 対立の言語化 |
もはや金の戦いではない。どんな会社を作りたいかの戦いだ | マスクとの方針対立を本人が初めて文字に落とした転換点 |
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2017年 11月6日 Exhibit 161 |
本音は、彼に出ていってほしい。彼から非営利を盗むのは間違いだろう | マスクの「慈善団体を盗んだ」という訴状の言葉と奇妙に響き合う一節 |
「思考の連鎖」は誰のものか
ブロックマンは法廷で、自分の文体を「思考の連鎖」(chain of thought)と表現したと伝えられている。声に出して考える、ノートPCに打ちながら考える、というスタイルだ。
ここで皮肉な符合が生まれる。「思考の連鎖」は、いまや大規模言語モデルの推論技法を指す言葉でもある。ChatGPTやClaudeが答えに辿り着く前に、考えのステップを書き出していくあの動きだ。OpenAIの社長は、自分のAIに教え込んだ思考法を、十年前から自分自身に対して実行していたことになる。
マンハッタン計画のオッペンハイマーがペンを取って魂を吐露したかのように。コーエン記者はそう書いた。日記のページは、歴史の中心にいる人物の内側の声を捉えていた。そしてその声は、絶対に読まれることを想定していなかった。
「あなたは誰に向けてこの日記を書いていたのですか」と、OpenAIの弁護士が法廷で本人に尋ねた。
「自分自身に」と、ブロックマンは答えた。
日記をつける経営者という稀少種
ポッドキャスト「All-In」では、出演者たちがこの事件に困惑していたという。「彼は日記マキシングをしていた」とジェイソン・カラカニス。「日記マキシングだけじゃない、ディスカバリ・マキシングだ」と共同司会のデイビッド・サックスが返した。「彼を尊敬しているが、何を考えているんだ。日記をつけている人なんて聞いたこともない」とデイビッド・フリードバーグ。
しかしブロックマンは孤独な変人ではない。
伝説的なIntel元CEOアンディ・グローブは、1968年の創業月から日記をつけていた。『パラノイアだけが生き残る』を書いた人物が私的なノートも書いていたのは奇妙に見えるが、ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授リチャード・S・テドロウによれば、それはグローブの生存戦術だった。マーブル模様の作文ノートに思考を流し込んで、頭を研ぎ澄ます。
権力者の日記が公になる経路は二つある。一つは伝記作家に手渡されること。もう一つは、手元から引きはがされることだ。
FTXの詐欺師サム・バンクマン=フリード(Sam Bankman-Fried)のケースでは、連邦検察が彼の腹心が書いていた「サムが今ピリピリしていることリスト」と題された頻繁に更新されるリストを押収した。バンクマン=フリード本人が自分宛てに書き付けた「これは精査されていない、おそらく悪いアイデアだ。極秘」というメモも証拠になった。日記から引きちぎった一ページのようだったとコーエン記者は書く。
ブロックマンの日記が陪審や判事にどう映るかは、まだ分からない。マスクの弁護士はそれを彼に向かって突きつけ、OpenAIの弁護士は「日記を全員に読まれるのはどんな気持ちでしたか」とだけ尋ねた。
「とても痛い」と本人は答えた。
「でも、恥ずかしいと思うようなことは何も書いていない」
ブロックマンが日記を書き始めたのは、2010年に大学で何を学ぶか決めようとしていた頃からだ。Stripeの初期従業員になり、マスクとアルトマンとOpenAIを始め、思考を文字に変換することで自分を整理してきた。彼は2023年にOpenAIについて日記に書くのをやめたと証言したが、理由は語らなかった。日記をつける別の方法が、いまや誰でも使える時代になっただけかもしれない。ChatGPTに打ち込めばいい。
| 項目 | グレッグ・ブロックマン | サム・バンクマン=フリード | アンディ・グローブ |
|---|---|---|---|
| 所属企業 | OpenAI | FTX | Intel |
| 日記の期間 | 2010年〜2023年 | — | 1968年〜 |
| 公開の経路 | ディスカバリで開示 | 検察が押収 | 伝記作家へ提供 |
| 公開時の状況 | 民事裁判で証拠化 | 刑事裁判で証拠化 | 本人の同意あり |
| 本人の意思 | 非公開を意図 | 非公開を意図 | 公開を許可 |
いま、誰の証言が信じられるか
裁判の構図そのものは、二週目に入って明確になってきた。マスクは三日間の証言で「OpenAIに資金提供した自分は馬鹿だった」と語り、「慈善団体を盗むことなんてできない」と陪審に繰り返した。判事はこのフレーズを記録から削除し、「あなたは弁護士ではない」と諭した。一方、xAIの代表でもあるマスクは、xAIがOpenAIのモデルを「部分的に」蒸留してGrokを訓練したことを認めた。被害者を装う原告が、競合のためにライバルの技術を借用していた構図だ。
ブロックマンの証言は、彼の側にも痛みをもたらした。マスクの弁護士スティーブン・モロは、彼を「銀行強盗」になぞらえる質問を繰り返した。OpenAIの非営利時代に約束した10万ドルの寄付を実行しなかったこと、いまや約300億ドル相当の株式を保有していること。チップ企業Cerebrasへの個人投資をマスクに開示しないままOpenAIで買収を議論していたこと。十回以上、モロは日記の「10億ドル」という記述に立ち戻った。
ブロックマンは反撃もした。マスクは元々OpenAIを営利化したがっていた、ただし自分が支配者であることを条件として。火星植民のために800億ドルが必要だと、本人がそう語っていたという。マスクが繰り返し主張する「オープンソース化」については「会話の話題にすらならなかった」と証言した。
陪審は助言的役割しか持たず、最終的な判断はイヴォンヌ・ゴンザレス・ロジャーズ判事が下す。判決は5月中旬から下旬にかけて出る見込みだ。OpenAIは2025年10月に評価額8520億ドルでOpenAI Group PBC(公益法人)に再編し、Microsoftが27%、OpenAI Foundationが26%の株式を保有する構造を確立している。マスクが求める1340億ドル超の損害賠償と再編の巻き戻しは、予測市場では実現可能性が低いとされている。
私的なノートが、公的な証拠になる時代
技術業界の人が日記を書くこと自体は、特別なことではないのかもしれない。ただ、それがディスカバリで開示され、法廷で朗読され、世界中のニュースサイトで引用される。そういう経路が、これまで現実的ではなかっただけだ。
ブロックマンの日記には、不確実性、野心、内省、生の感情、自己認識、そして自己疑念が詰まっている。AI検出器を通すまでもなく、これは人の文章だ。
では、いまの自分が同じことを書くだろうかと、テック業界の経営者たちは考え始めているかもしれない。打ち込んだものがどこに保存され、いつ証拠として呼び出されるかを、誰が保証してくれるのだろう。
経営者が日記を綴る時代は、ブロックマンの世代で幕を閉じるのかもしれない。
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